「あいさつが できないひとは はいれません」令和生まれの駄菓子屋がつくりだす地域コミュニティ―加須市・駄菓子屋いながき
人が集まる場のヒミツ

「あいさつが できないひとは はいれません」令和生まれの駄菓子屋がつくりだす地域コミュニティ―加須市・駄菓子屋いながき

#カルチャー #コミュニティ

人気のあのお店や場所には、なぜ人が集まるのか? 連載企画「人が集まる、場のヒミツ」では、お店・空間づくりのポイントや、その背景にある想いやこだわり、そして魅力的なエピソードの数々から、「愛される場所」の秘密を紐解きます。


第9回は、埼玉県加須市にある「駄菓子屋いながき」。入り口に貼られた「あいさつが できないひとは はいれません」という紙を見て「こんにちは!」と店に足を踏み入れると、目の前に広がるのは無数の駄菓子やおもちゃ、くじ、レトロゲーム……創業5年ながら、まるで昭和の時代から続く駄菓子屋らしい空間が広がっているのです。


この場を生み出したのは、元々は学童保育を経営していた宮永篤史さん。「駄菓子屋を未来につなぎたい」と話す宮永さんに、この時代に新たな駄菓子屋を生み出した経緯や、この場に込めた裏テーマなど聞きました。

開業のきっかけは、駄菓子屋を1軒でも残したいという気持ちから

—宮永さんが駄菓子屋さんをはじめたきっかけについて教えてください。

宮永

以前はさいたま市で学童保育を個人で経営していました。子どもたちが1日の最後を過ごす場所だからこそ「とにかく面白いものを、また訪れたくなる仕掛けを」と考えて、いろいろな企画を考えていたんです。その一環として、学童の中に駄菓子屋を作り、おやつの時間に、学童の中だけで使えるお金で買い物ができるという仕組みをつくりました。これが、子どもたちは楽しいし、親にとっても一人で買い物をする体験や練習に繋がると喜ばれて、大好評だったのです。


さらに、駄菓子屋だったら10円ゲーム機もあるよねと考え、ゲーム機も調達して、今のお店の縮小版のような空間を作りました。

駄菓子屋いながき 店主・宮永篤史さん

宮永

しかし、人気が出過ぎた結果、学童の規模が大きくなりすぎてしまって。自分の中で限界を感じて、事業譲渡することにしたのです。アドバイザーという立場ながら実質無職になったことをきっかけに、当時まだ保育園児だった息子と2人で日本一周、駄菓子屋を巡る旅に出かけました。

—日本一周はすごいですね。そこではなにか発見はありましたか?

宮永

たずねる昔ながらの駄菓子屋はどこも、70代、80代、90代のお年寄りがやっているお店ばかり。話を聞いていても「自分の代で終わりだから」「もうあと何年できるかわかんないから」と言います。そのとき、駄菓子屋って、もしかして消滅するかもしれないと思ったんですよ。


それで「自分で駄菓子屋をやってしまえばいい。自分が駄菓子屋をやれば、日本のなかで最低1軒はお店が残る」と考えたんです。

店内には、駄菓子屋を巡ったときに撮影した数々の写真が。日本一周時には250軒を訪れた。

その後も駄菓子屋訪問を続け、現在の訪問件数は800軒に上る

—この場所には、どういう経緯でお店を構えることになったのでしょうか。

宮永

もう完全な偶然です。最初は学童で使っていたゲーム機をしまう倉庫を建てるために埼玉県内の土地を探していたのですが、ここが空き家として不動産屋に出ていて。はじめは倉庫にしていたのですが、そのまま駄菓子屋へと改装しました。

「いながき」というのは、前のお店の名前をそのまま受け継いだのですね。これはなぜですか?

宮永

この建物は、もともと「いながき美容室」というお店でした。もう40年以上前からあった店だからこそ、店内には「人の営みがあったんだな」というものが多く残っていて。そういったお店の歴史や経緯、営みというものに対してリスペクトしたいという思いもあり、そのまま看板など残しています。


もうひとつは、旅をしていくなかで、古い町の景色がガラッと変わることを望んでない人が多いことに気づきました。だからこそ、見た目は何も変えず中だけ駄菓子屋という形にしたのです。


ただ、1つだけデメリットがあって、ここを経営していた稲垣さんの親戚だと思われちゃってるっていう(笑)。実際は全く関係ないので、「違います」といいつつ、これまでの経緯を説明しています。

今も「いながき美容室」の看板が掲げられている

駄菓子屋での思い出を体の一部にしてほしい

—店内のレトロな雰囲気なだけでなく「あいさつが できないひとは はいれません」といった入り口の張り紙もインパクトがありました。お店作りでこだわっていること、工夫していることもお聞きしたいです。

宮永

「あいさつが できないひとは はいれません」は、半分ジョークみたいなものですけどね。今やコンビニやスーパーは挨拶せずにお店に入りますよね。お店側があいさつするのも、ただの定型になっています。でも、うちはそうじゃない。人と人が対話する店だから、あいさつしてほしいという想いがあるんです。


別にあいさつしなくても入れますが、基本的には、みんなあれを見て「こんにちは」って入ってくるんです。それに対して「どうぞ」と答えることで、対話が生まれます。

オープン初日に扉に貼られた「あいさつが できないひとは はいれません」の紙

—店内に入った瞬間、商品数の多さにも驚きました。

宮永

賞味期限切れのリスクもありますが、その時は自分で食べちゃえばいい(笑)。とにかく品数多くして、訪れた子どもたちにインパクトを与えられるようにしています。ものがありすぎて、目をキョロキョロさせて立ち尽くしている子を見ると、狙い通りだなと感じますね。

子どもたちを圧倒する、壁一面の駄菓子やくじ、おもちゃ

—10円ゲーム機もかなりありますよね。

宮永

学童保育で使っていたものがバックヤードにまだまだあります。基本的にはレトロゲームですが、現代の子にフィットするものを選んでいます。たまに入れ替えもしますよ。


ゲームでもお菓子でも、このお店は「親子でこの場を楽しむ」「世代間の共通の話題になる」ようにしているんです。ここで一緒にその楽しみを共有したら、家でもきっと駄菓子屋いながきの話をすると思うんです。

所狭しと並ぶ10円ゲーム機。

「最近の子どもたちには、すぐに結果の出るタイムパフォーマンスの良いゲームが人気」と宮永さん

—この場だけには留まらない会話の広がりも意識されているのですね。店舗に散りばめられた工夫を伺っていると、宮永さんの駄菓子屋に対する情熱を感じます。

宮永

もともと僕は駄菓子屋に対して、いい思い出しかないんですよね。駄菓子屋のおばちゃんが、駄菓子屋を通してお金の使い方やゲームとの付き合い方を教えてくれたのだと思うんです。そういった思い出がベースにあるからこそ、いながきも訪れてくれた人の体の一部になれば良いなと思います。

子どもたちの成長を肌で感じるのが醍醐味

—宮永さんは、駄菓子屋とお客さんの関わりや関係性について、どのように考えていますか?

宮永

自分が考える駄菓子屋とは、菓子小売業をベースとした地域のコミュニティ。その店主がそのコミュニティのハブになって、人と人との関わり合いが起きるという場所だと思っています。


自分は昔からこの町に住んでいたわけではありません。だから最初は苦労しましたが、やっと馴染んできたなと感じています。息子が地域のサッカークラブに入っているので、クラブづてに駄菓子屋の話が広がったり、市内で店舗のプロデュースをしてほしいという話が来たりと、確実に地域に根付いてきたなと。

—地域のハブとして活躍されているのですね。ほかに、コミュニティや人とのつながりを感じる瞬間はありますか?

宮永

子どもたちの成長を感じることできるのは、駄菓子屋だからこそですね。最寄りの小学校は130人しかいません。例えば、最初は親に連れられて来ていた子が小学生になって、1人で来て買い物できるようになるんですよ。

駄菓子にも世代によってトレンドがあるという。「ロールキャンディ」は今の子どもたちに人気の商品。

途中で取材に混ざってくれた宮永さんの息子さんもお気に入りだと教えてくれた

宮永

また、買い物だけでなく、言葉の使い方や関係性の築き方にも成長があります。


僕は、大人と子どもの信頼関係の中には、ある程度の「関係性の線引き」が必要だと考えています。ただただ親しくなるのではなくて、何かあったときに頼れる大人として認識してもらえるように、子どもたちと接しているんです。それを伝えながら対話をする中で、一瞬嫌がる子もいるのですが、この人は信頼できる大人なんだなって感じてくれる子もいるんです。小学校から中学校に上がって、今までタメ口で喋ってた子が、いきなり敬語で話しかけてきたりすると「こいつ成長してるな」と感動すると同時に「俺はさみしいぞ」と思ったりもします。

—うれしさ、さみしさを感じる瞬間もあるのですね。

宮永

そうですね。ほかにも、ここでレトロゲームにハマって、自作の10円ゲーム機を作ってきた子もいるんです。

— !! それはすごいですね。

宮永

当時、その子は小学校4年生だったのですが、10円ゲーム機の構造を見せたり、木材はこういうのを使った方がいいなど、アドバイスしたりしたんです。そしたら、6年生になった彼が巨大なゲームを1台作って見せてくれました。出来が良かったのでお店に置いてSNSで紹介したら、テレビでも紹介されました。

いながき常連の小学生が作った10円ゲーム機「アポロ11号」。他のゲーム筐体にも引けを取らない大きさ

宮永

放映後、テレビを見たという小学4年生の子が、「僕も作りたい」と千葉県から電車とバスを乗り継いで1人でやってきたんです。驚きました。

—関わりの輪が、どんどん広がっていっているのですね。すごいエピソードです。

経営のかたちを模索しながら、駄菓子屋を未来へ

—今後、駄菓子屋とそれを取り巻くコミュニティはどうなっていくと思いますか。

宮永

今、駄菓子屋が減っていく中、昔ながらの駄菓子屋が持っている役割を理解してくれる人が、新たに駄菓子屋を始めてくれたらいいなと思っています。


また、単価が低い駄菓子だけだと経営が大変なんです。自分も試行錯誤を続けていますが、他の店舗でも例えば飲食物と絡ませるなど、それなりに収益性がある手法を見つけられればとは思いますね。

駄菓子屋いながきにはカプセルトイやご当地ドリンクの自販機も。

品物のバリエーションを増やすことは、駄菓子屋経営を収益化するためにも必要なこと

宮永

最近では、東京都江戸川区が駄菓子屋を通して、就労支援を行っています。民間だけではなく、公的な駄菓子屋という手もあるのかもしれません。ほかにも、老人ホーム併設で入居者が接客を行う駄菓子屋や、就労支援B型事業所として営業されている駄菓子屋など、実際に様々な形で就労支援や地域支援として活用される店舗が出てきていますね。


どんな形でも、駄菓子屋の持つ価値が世の中に認識されて、かつ駄菓子屋経営で生活できるような構造が作れればいいなあと思っています。その一端を担えれば、それ以上にうれしいことはないですね。

PROFILE
川村健一

宮永 篤史

駄菓子屋いながき 店主

学童保育経営の経験から駄菓子屋に興味を持ち、2018年に息子と日本一周で約250軒の駄菓子屋を訪問。翌年、埼玉県加須市に「駄菓子屋いながき」を開店。店主として働きながら、新たな駄菓子屋のプロデュースも行う。


駄菓子屋いながき:https://inagaki.shopinfo.jp/

CREDIT

ライター:ミノシマタカコ 撮影:吉田一之 編集:モリヤワオン(ノオト)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

SHARE

この記事を読んでいる人に人気の記事