「座る」時間は、自分の位置を確かめる時間。私らしいワークスペースを作る工夫とは|詩人・文月悠光さん
千座万考

「座る」時間は、自分の位置を確かめる時間。私らしいワークスペースを作る工夫とは|詩人・文月悠光さん

#アイデア・工夫 #ライフスタイル

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


第6回の寄稿者は、詩人の文月悠光さん。「座る」を通して暮らしの最適解を見つけていく道のりについて、綴っていただきました。

落ち着きのない職業

「詩人」の肩書きで文筆業を15年続けてきた。書き仕事=机の前に座っていなければならないのに、私は「ただ座っている」ということが本当に苦手だ。集中すべき状況で、気が散ってしまうことがよくある。

考えごとに夢中になり、気づけばぐるぐる歩き回る。子どもの頃に読んだ『ファーブル昆虫記』で、ファーブルが考え事をしながらいつもテーブルの周りを歩くため、床には歩いた跡が白く残った、という逸話があった。ファーブルほどではないにしろ、私もそこそこ歩く。たまに来客があると、私が話しながらリビングを歩き回るので結構びっくりされる。


フリーランスの私は、自宅以外の固定の仕事場を持たない。そのため、家の中でもあちこちで仕事をする。自室のデスクはもちろん、リビングのテーブルやソファ、同じマンション内にある夫の仕事場、ときには寝室。本当は家をオフの空間にしたいのだけど、作曲家の夫も大きなラップトップをリビングでよく広げていて、微妙にくつろげないのが不満だ。「通勤時間ゼロ分」にも少しだけ悪い面があって、仕事モードからプライベートモードに切り替わる間がない。我々はいつも退勤直後の疲れた表情のままリビングで顔を合わせ、作業の進捗を「原稿送った」「作曲進んだ」と報告し合っている。進捗がよくない日に限って、夫は私の顔を見た途端「どう?進んだ?」と聞いてくるので、ぎくりとする。本当に油断ならない。


私は、ノートパソコンが広げられる場所さえあれば、そこで仕事ができる(と思わないと何もできないので、無理やり自分を洗脳している節がある)。チェーンの喫茶店や、コワーキングスペースや図書館に出かけて執筆することも多い。そこでは、誰もが自分の時間に集中していて、私のことを気にかけない。そんな場所だからこそ、私も自分のことに集中できる。もちろん、あるいは出張の新幹線や空港のラウンジの中でも。移動中に直通電車に乗れた場合は、ちょっと行儀が悪いが、膝にMacBookを広げて原稿を書いたりもする。でも正直なところ、電車ではなるべく人間観察をしたり、ぼうっとしたりしていたい。


そう、私は本来いくらでもぼうっとできる人間なのだ。詩やエッセイの構想を考えながらじっくり思考を深め、言葉を置いていく時間が好きだし、書いている途中手を止めて、ときおり窓の外を見て考える時間も好きだ。

夫の仕事場にて、打ち合わせのメモを取る私

札幌で育った幼少期から、日記を書くときなどはそうして自室の窓から外を眺めていた。冬なら雪が音もなく降りしきる様子、春には滴り落ちる雪解け水のかがやき、秋の夜なら虫の声に耳を澄まして……。景色の変化に乏しい都会で執筆の作業に没頭していると、ふとあの頃が懐かしくなる。


「座る」時間とは、自分の位置を確かめている時間なのだと思う。ここを軸に自分は言葉を紡ぐぞ、という姿勢。集中はしているけれど、意識は柔らかく、変な緊張感がない状態が私の執筆にとってはベストだ。

仕事部屋の強化

あちこちで仕事する私なのだが、自室の仕事部屋を強化してからより心強くなった。20代後半までは毎日のようにファミレスに通っていた。深夜まで営業してくれるファミレスは余裕のない私にはありがたかったが、席の配置によって集中力の質が変わってしまったり、椅子と机の高さが合わなかったりする場合も多い。ここで仕事するのは限界だな、自室を強化するか、仕事場を借りるかした方がいいな……と薄々感じていたが、何から始めれば良いのか全然わからなかった。


オカムラのコンテッサ セコンダを導入したのは、そんな2021年10月ごろ。その少し前から作曲家である夫と同棲していたのだが、彼が仕事部屋で使用していた椅子がコンテッサ セコンダだった。


座らせてもらって驚いた。腰がしっかりと支えられている感じで、非常に楽なのだ。「私も次の椅子はこれにする!」と一切迷わず、購入を決めた。

2021年10月の引っ越しを機に、私はそれまで使っていた古い机と椅子を処分することになった。椅子の方はもう何年も前から高さを調整する機能が壊れていたので、処分になんの未練もなかった。


同時期に、昇降デスクとアーム付きのモニターも夫とそっくり同じものを買うことにした。夫に「僕がこの最適解にたどり着くのに、どれだけ時間を使ったのか!」と嘆かれながら、私はそっくり「真似」させてもらったのだ。我ながらちゃっかりしている。ただ、環境って、そんな風に身近な人からの影響で変化するものではないだろうか?

強化した仕事部屋。すぐに資料で机がいっぱいになってしまう。

そんなこともあって、我が家にはコンテッサ セコンダが計3脚(夫と私のそれぞれの作業部屋と、来客時の予備に)もある。ふわりと腰が包まれるような感覚は、今まで私が座ってきたどの椅子でも得られなかった。腕を支えるアームレストのボリューム感も心地よくて、どんなに疲れているときも癒される。

初めての自分の部屋

ここからは、子どもの頃の記憶を遡ってみたい。初めて私が自分専用の部屋をもらったのは、6歳の冬だった。その頃、生まれた家を離れて、我が家は同じ札幌市内郊の広い家に引っ越した。年の離れた兄(当時14歳)とタイミングを同じくして、私は初めての一人部屋を与えられた。6畳から8畳ほどはあったようだ。寝室は別なのでベッドはなく、最終的に、机と本棚、引き出しが2つと、衣装用のハンガーラックがおさまった。子ども部屋にしては広い方だったように思う。


数年間は部屋のちゃぶ台と座布団で宿題をこなしていたが、10歳ごろに自分専用の机と回転椅子を与えられた。しかし母が選んだのは、子供用の学習机ではなく、大きめのパソコンデスクだった。友達の家にある学習机に憧れていた当時の私は、「ついにあの夢のような楽しい机がうちにやってくる」と思っていたので、母が「安い」と喜んでいる簡素なパソコンデスクを見て、かなり興醒めした。当時の私もしつこく抵抗をしたはずだ(結果的にはその机で執筆をして16歳で新人賞を受賞し、その机を文字通りパソコンデスクとして執筆に使うことになるので、今となっては正解だったのかもしれない……)。


むしろ私が気に入ったのは、回転椅子の方だった。キャスター付きの小さな椅子は、まるで大人になった気分。物語の中の探偵事務所や、社長室に置かれているような椅子に似ている(実際は全く似ていないが、いくらでも想像で似せることができる)。ノックする来客に「何?」とクルッと振り返る。そんな妄想を膨らませながら、椅子を素足で軽快に回転させていた。


自室があることによって、私はこっそり日記を書いたり、物語を書いたり、もの思いにふける時間を得た。図書館から借りた本に夢中になり、「私もこんなお話が書きたいな」と空想に浸る。友人が遊びに来れば、人形を動かし、即興で物語をつくる「おはなしごっこ」に励む。それは、周りの大人には見せられない「秘密」の時間だった。

6歳から18歳までの日々を過ごした自室(写真は11歳の頃)。

ちなみにその部屋は、引っ越し前のリフォーム時に新しく作ったため、家の中で唯一ドアに鍵がかかる部屋となった。もちろん思春期の私はその鍵を使った。ドアの向こうに行けば、家庭や学校でのことをひととき忘れられる。それはまぎれもない紛れも無い救いだった。

今の仕事に繋がる「詩の創作」に集中できたのも、その部屋があったおかげだ。部屋で過ごした豊かな時間は、創作の原体験として、今の自分の土台になっている。

「座る時間」を最高の体験に

私は決して、立派な机や椅子で作業したいわけではない。私の作品も、特にそういう大袈裟なものは必要としていない。長編小説を書くなら別だが、一編の詩を書くなら場所や環境は問わないだろう。

それでも「この場所でしか書けない」というのと、「この場所を選んで書く」というのは明らかに違った。自分の仕事のために整えられた空間がホームとして存在している、ということが大事で、だからこそ外に出かけて書く自由も生まれるのだ。

夫の仕事部屋にて。赤い電子ピアノ(Nord Grand)と赤のコンテッサ セコンダ。ここから様々な響きが生まれる。

正直に言えば、執筆は人生の時間を食う。これまでのの経験と未来の時間を、原稿のために奉仕させることになる。目の前の原稿が駄作か、名作か、決めるのは読者だ。丁寧にやろうと思えば、いくらでも丁寧にやれてしまう。世の中、これだけ本やさまざまなコンテンツに溢れているのだから、消費するだけの側にいた方が色んな面で楽なのかもしれない。

それでも、私は自分にしか書けないものがあると信じたい気持ちがある。せめて机の前に座る時間が、単なる「人生の浪費」にならないようにしたい、と考えている。

私は基本的に「楽しいことを諦めたくない」ので、無理にでも予定をねじ込む。人と行く温泉や旅行の合間でも空き時間は執筆する。現にこの原稿もコペンハーゲンのホテルのラウンジで手直ししている。

みんながリラックスしている空間で、自分一人仕事をしているのは、ときどき寂しくなるが仕方がない。出先の喫茶店や図書館で作業するのは、そうした時間を捻出するための工夫でもある。


私含め、多くのデスクワーカーは否応なく座らなくてはならない。そんな「座る時間」を最高の体験にできないだろうか。若い頃は「原稿の内容に違いがなければ、道具は何を使っても同じでは?」とどこか思っていた。仕事場のインテリアにこだわる人たちのことを、憧れ半分理解できない気持ちでいたのだ。。

しかし今思うと、ワークを優先しすぎて、ライフを捨てた状態だったと思う。たとえば、お気に入りの飲み物をそばに置く。自分が選んだ絵や時計を壁にかける。お気に入りのカーテンを引く。椅子に深々と腰かける。

ちょっとしたことでいい。それは立派な「工夫」だ。私らしい空間を作ると、自分の仕事にも自信が持てるようになる。


「ああ、もっと早く、こんな風に暮らせばよかった」

あと何回そう思ったら、私は暮らしの最適解に辿り着けるのだろう? 

道のりは程遠く、けれどだいぶ明るい。

いつか、あなたの「工夫」もぜひ聞かせてほしい。

PROFILE

文月悠光

詩人

1991年北海道生まれ、首都圏在住。2008年、16歳で現代詩手帖賞を受賞。第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(ちくま文庫)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。2023年、第4詩集『パラレルワールドのようなもの』(思潮社)で富田砕花賞を受賞。その他の詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、恋愛をテーマにした詩集『わたしたちの猫』(ナナロク社)。エッセイ集に『臆病な詩人、街へ出る。』(新潮文庫)、『洗礼ダイアリー』(河出文庫)がある。今年2月に新詩集『大人をお休みする日』(角川春樹事務所)を刊行。発売直後から反響を呼んでいる。2023年度より武蔵野大学客員准教授。


HP:http://fuzukiyumi.com/

CREDIT

執筆・写真提供:文月悠光 プロフィール写真:神藤剛 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

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★★★★☆

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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