じっとできず、たくさんの場所に心のすわりどころを探して見つけた、いろんな「すわり方」|文筆家、映像作家、俳優・小川紗良さん
千座万考

じっとできず、たくさんの場所に心のすわりどころを探して見つけた、いろんな「すわり方」|文筆家、映像作家、俳優・小川紗良さん

#アイデア・工夫 #キャリア #ライフスタイル #仕事・働き方

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


今回の寄稿者は、文筆家・映像作家・俳優の小川紗良さんです。元々、じっとすわることが苦手だったという小川さん。さまざまな「心のすわりどころ」を見つけ、旅に出ることで見つけた自分の「すわり方」とは。

じっとすることが苦手だから、「落ち着く場所」がわかる

 私は、じっとしていることができない。ひとつの場所にとどまり続けるうちに、意識がふわふわと「ここではないどこか」へ飛んでいってしまう。だから、意識の赴くままに移動する。家からカフェへ、シェアオフィスから公園へ、東京から地方へ。あてもなく漂うわけではなく、行く先々に明確な「落ち着く場所」があり、それらをめぐるように暮らしている。しばしのあいだ腰を据えて活動できる場所、いわば「心のすわりどころ」が各地にあるのだ。

旅先の宿の部屋

 もともと、勉強机でじっとすわって集中できるタイプではなかった。「勉強をするための机」という目的が決まった場所で、目的通りのことをやるのが苦手だった。同じ理由で、図書館で本を読むのも苦手だ。だから小さい頃から、宿題をするのはリビングで、高校生くらいになるとカフェを渡り歩くようになった。


   集中して過ごせる場所には、いくつかの条件がある。まずは、自然光が差しこんでいること。窓際がベストで、地下はなるべく避ける。次に、適度な雑音があること。高校生のグループや、ママ友たちが盛り上がっている机があれば、積極的に隣を狙う。それから、美味しい飲み物やちょっとした甘いものも欠かせない。自分の集中力が持続しないと知っているからこそ、窓の外を眺めたり、雑談に耳を傾けたり、おやつをつまんだり、意識を逃がすことのできる余地をつくるようにしている。

「心のすわりどころ」を近くから見つけて

 大人になって、「心のすわりどころ」はより広範囲へと広がった。Googleマップにたてた無数の旗は、家の周辺にとどまらず、利用する鉄道の沿線や、地方や海外まで、あちこちではためいている。それらを眺めていると、どこへ行ってもどうにかやっていけそうだと、心を強く持てる。しかし、そのような生き方に水をさしたのが、新型コロナウイルスの蔓延だった。


 家から出られない、どこにも行けない。何よりも辛いことだった。少しでも「外」を感じたくて、ベランダで仕事をしてみたりもした。当然、長くはもたない。どうしたものかと途方に暮れつつ、それまで絶えず移動していた私は、初めて立ち止まって「家」という空間に目を向けた。こうなったら、この場所をめいっぱい楽しむしかない。


 植物を育てたり、じっくり料理をしたり、アクセサリーを手作りしたり……。私は暮らしを隅々まで楽しんだ。そのうち夫と引っ越して住まいにゆとりができると、暮らしを楽しむ余地も広がった。庭で生ごみコンポストを始めたり、書斎の出窓を活かして作業机をしつらえたり。それまで、食べてお風呂に入って寝るための場所でしかなかった家という空間が、どんどん面白くなった。身近な暮らしが、こんなにもクリエイティブなものだったとは。これまでマップに無数の旗をたてておきながら見過ごしていた、一番近い「心のすわりどころ」を私はようやく手に入れた。

現在の書斎

 それによって、働き方も大きく変化した。コロナ禍までは、映画作りや執筆、俳優業、学業も含めて、さまざまな分野を絶えず行き来し、がむしゃらに走り続けていた。そこに「暮らし」という項目が加わると、当然時間は足りなくなるので、何をして何をしないか選択する必要が出てくる。そこで編み出したのが、活動に一貫したコンセプトを持たせることだった。2023年に立ち上げた会社の名前でもある、「とおまわり」がまさにそれだ。落ち着きのない自分への戒めのような言葉でもあるが、急がず焦らず、良い遠回りをしているかどうかが、私の活動の判断基準となった。


 スピードや効率の求められる世の中で、歩みを緩めることには勇気がいる。私もそれまでいた世界と距離を置いたとき、何の保証もないなかで、本当にやっていけるのか不安だった。しかしそれ以上に、明確な方向性ができたことで視界はクリアになり、やりがいを持って仕事ができることが楽しかった。意外だったのは、歩みを緩めたことで、むしろ仕事の幅が広がったことだ。映画の撮影を機に子どもに関わる仕事に興味を持ち、コロナ禍で保育士資格を取得して、実際に保育園で働いてみたり。ラジオの仕事をきっかけに、司会やナレーションの依頼をいただくことが増えたり。肩書きが増えても、コンセプトに沿って取捨選択することで、暮らしを楽しむ余地を保つことができる。

東京、鹿児島、石川。異なる「すわる」にも触れて

 このごろは、東京、鹿児島、石川を行き来することが多い。拠点である東京は、ラジオの生放送があるため毎週末には必ず帰ってくる。不規則な私のカレンダーに、「日曜のラジオ」という縦軸ができたことで、社会人らしい顔ができている。ラジオは「すわって聴く・話す」仕事であるが、私は生放送の3時間じっとしていることができないので、曲やCMのあいだにたびたび立ち上がり、スタッフさんと談笑している。信頼できるチームで意見を出し合って番組をつくり、リスナーさんたちのメッセージにも毎回ハッとさせられる。今の私にとって大事な「心のすわりどころ」だ。


 鹿児島では、小さいころからゆかりのある「阿久根市」というまちに通っている。2016年と2019年に映画の撮影をしたことで、まちの人たちとのつながりが強まった。この秋は、初開催となる「阿久根うみまち芸術祭」の企画・運営に携わった。阿久根は人口18,000人ほどの小さなまちで、漁業が盛んな港町として栄えてきた。近年は若い移住者が増えたり、起業する女性の姿も見られたりするなど、新しい風がゆったりと吹きつつある。小さなまちだからこそ、手を取り合ってやりたいことが実現できるその空気に共鳴して、芸術祭を立ち上げた。アートとともに楽しんでほしかったのが、夕暮れの海の景色だ。悠々とした東シナ海に光の粒子が道をつくるように、ゆっくりゆっくり陽が沈む。それをぼんやりと眺めるような穏やかな時間の流れが、阿久根にはある。「すわって眺める」ひとときを、たくさんの方に体感していただくことができた。


 はたまた石川では、日本海の力強さが新鮮に目に映る。2024年元日の能登半島地震以降、珠洲市や輪島市、能登町などに通っている。きっかけは地震の2ヶ月後、知り合いの料理人が行っていた炊き出しの現場に密着したことだ。「記録してほしい」と頼まれてカメラを持って飛び込んだものの、当時は宿もなく、道路は崩れ、水もまともに使えない状況だった。現実とは思えない惨状のなか、再建に向けて動く人々の姿に触れるうち、能登という地域そのものに興味を持つようになった。豊かな里山里海に囲まれた最果ての地には、面白い文化があり、面白い人たちがいる。受け継がれた保存食や、昔ながらの塩づくり、海女漁、タコすかし、そして数多の祭り……。すごいのは、被災して生活もままならないような状況下でも、能登の人々がそれらを手放そうとしないことだ。日々移動しながら暮らしている私にとって、そのような地域に根ざす人々、いわば「すわって守る」人たちの姿がとても格好良く思える。

書斎のテーブル

 保育現場や、災害の現場、農業など、社会を支える仕事を最前線で担う人々と出会い、触れ合うなかで、感じたことがある。それは、彼らの仕事を伝える人が必要だということだ。私がこれまでに出会ってきた人たちは、高い専門性と誇りを持って働く人ばかりだった。しかし世の中からは見えにくく、場合によっては搾取的な構造のなかにあることが気がかりだ。私はどこか1ヶ所にとどまって専門的に働くのは向いていないけど、各地を飛び交って体感したことを「伝える」のには向いている。映像や文章、対話など、私がこれまでに培ってきた技術はそのためにあるのだと、旅するなかで自覚した。


 DIYでしつらえた書斎の出窓テーブルに、今は稲穂が飾られている。能登の米農家さんの稲刈りをお手伝いしたときに、記念にいただいたものだ。都会で日々仕事をしながら、ふと田んぼの香りやそよ風を思い出す。そんなふうに「心のすわりどころ」をたくさん持っていれば、目の前のことに疲れても、ここではないどこかで流れているたしかな時間に、想いを馳せることができる。そうやって私は今日も、すわってこの文章を書いている。

PROFILE

小川紗良

文筆家・映像作家・俳優

1996年、東京生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。俳優として、映画『イノセント15』、NHK『まんぷく』等に出演。初長編監督作『海辺の金魚』は韓国・全州国際映画祭に出品され、自ら小説化も手がけた。2023年1月より、J-WAVE「ACROSS THE SKY」(日曜午前9時〜12時)にてナビゲーターを務めている。同年3月、活動拠点として「とおまわり」を設立した。

CREDIT

執筆・写真提供:小川紗良 編集:桒田萌(ノオト)

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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