母と、会社員と、わたし。それぞれの顔を形づくる3つの椅子について|会社員兼ブロガー・はせおやさいさん
千座万考

母と、会社員と、わたし。それぞれの顔を形づくる3つの椅子について|会社員兼ブロガー・はせおやさいさん

#アイデア・工夫 #キャリア #ライフスタイル

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


今回の寄稿者は、ブロガーのはせおやさいさん。管理職として働きながら、自宅では子育てに励み、そしてもう一つ大切にしている「私」という生き方――3つの椅子を使い分けながら考えたことについて、綴っていただきました。

心のなかにある椅子

人にはさまざまな顔がある。


それは表情のことだったり、役割のことだったりするかもしれない。そんなことを思い浮かべるとき、わたしは「心のなかに椅子がある」、とイメージする。


心のなかは広く、がらんとした空洞だが、暖かく快適だ。まぶしいほど明るくはないが、周りが見えないほど暗くもない。ほんのり明るいその空間には、わたしの大切な人たちのための椅子が用意されている。


わたしの大切な人たちは、いつでもそこへやってきていい。やってくるのは、例えば疎遠になってしまったが大切に思っている仕事仲間であったり、もう会えない場所に行ってしまった古い友人だったりすることもある。


やってきた彼らは、わたしが用意した自分の椅子に座ってくつろいだり、本を読んだり、ぼんやりしたり、わたしに好きな話をしてくれ、お茶を飲んで帰っていくための場所として使っている。彼らが話したいトピックは様々だ。


わたしに対して、上司としてのアドバイスがほしい、子育ての悩みを一緒に語りたい、ただ一緒にお酒でも飲んで、リラックスしたい……。


わたしにもいくつかの違う「顔」があるので、そんなときのために、自分にも3種類の椅子を用意している。

オフィシャルな顔をした「会社員」としての椅子

社会人として働き始めて、もうすぐ30年になる。就職活動なんてはるか昔のことだけれど、初めての会社で「ここがあなたのデスクだよ」と言われたときは、とてもうれしかった。なんてことない事務椅子だったが、ここにわたしの席があり、仕事がある、と感じるのは、社会人になった実感を与えてくれた。


そうやって自分の椅子を大事にしていたが、たまに空けてしまって、他の人に座られることもあった。心身の調子を崩し、もう働くことはできないかもしれない、と思ったとき、そこに知らない誰かが座ってしまう、というのは焦りでもあった。自分の椅子にしがみつくあまり、素直に周囲と向き合えない瞬間もあった。


でも、あるとき気付いたのだ。

用意された椅子を奪い合うから焦るのであって、わたしはわたし自身の椅子をしっかり持ち、それを会社に持ち込んで働くような気持ちで仕事をすればいいのだ、ということを。


もっというと、わたしの椅子を持ち込ませてくれないような会社とは、縁がなかった!と割り切ることができるようになった。居心地の悪い椅子に無理やり押し込まれるのは、本当に苦痛だ。肉体の苦痛は、やがて精神の苦痛にもつながる。そうなったらもう、健康な心身を取り戻すのは至難の業だ。


そんな発見をしたら、仕事をするときに座っているわたしの椅子は、なんだか頼もしく、背中からわたしを支えてくれる相棒のように感じた。


管理職になってもそうだ。会社が用意した新しい椅子に次々座って振り回されるのではなく、自分の愛用の椅子を持ってその場所に移動する。わたしはわたしらしく、わたしのやりかたで、与えられた任務を達成すべく、相棒である椅子に座ってやるべきことをし、部下に向き合い、ときに頭を抱えたり、天を仰いだりしている。


そういうとき、だいぶ長い付き合いになった「会社員」としての椅子は、ギッ、という音を立てながらわたしを支えてくれている。新品のピカピカでなくてもいい。自分が気に入って、これだ、と思える椅子があれば、それでいいのだ。

新しく座ることになった「母親」としての椅子

20代から30代は、ほぼ「会社員」としての椅子にしか座っていなかったが、あるとき急に「母親」としての椅子に座り替えなければならないことになった。


最初、その椅子はふわふわしていて、わたしが産んだ子どもを一緒に支えてくれるクッションのようだった。


ただ、母親という役割は、とても不思議なものだ。わたしの子どもはまだ小学1年生だが、わずか7年の間に、めまぐるしく変わる役割とともに、座る椅子も変わっていった。


子どもの変化はすさまじい。最初は自分で排泄もできないような生き物だったのに、あっという間に立ち上がり、自分でスプーンを操って食事をとるようになった。最初は子どもを抱き続けるために必要だったクッションは、やがて不要になってしまい、子どもの隣に座るためのダイニングチェアが必要になった。


なんということだ、半年前とは違う椅子に座り続けなければいけなくなったのだ。子どもに対しての悩みが、向き合い方が、それだけ早いスピードで変化していくのだから。


子どもと向き合うための椅子は、ときとしてゆったりとしたソファのこともある。

正面で向き合わずに、ただ隣に座って肩を抱き、子どもの髪や手を撫でながら、その日に起こったこと、悲しかったこと、腹が立ったことをただひたすら聞いてあげる時間も必要だ。子どもが体重を預けて寄りかかってくるとき、その体温を感じるときに、ああ、この子との向き合い方も椅子とともにまた変化してくのだなと実感する。

子どもがまたさらに成長していくとき、わたしが座る椅子はどんな椅子だろう。


こればかりは予測もつかないので、心の底からワクワクしている。

それでも変わらずにある、「わたし」という椅子

仕事のときは「会社員」の椅子に座り、母親のときは別の椅子に座る。

あっちに行ったりこっちに行ったりして落ち着かないが、本当にたまにある時間のために、わたしは「わたし」という特別な椅子を用意している。


もう50年くらいの付き合いだから、けっしてピカピカの新品ではないけれど、時々手直ししたり、ほころびをつくろったりして手入れを続け、今となってはわたしの身体にこれ以上ないほど馴染んでいる。


朝、起きたら「母親」の椅子に座り、子どもを送り出したらすぐに「会社員」の椅子に座る。そこからまた子どもが帰ってきたら「母親」と「会社員」の椅子を行ったり来たり、ものすごいスピードで座り直し続けるので、1日が終わるとヘトヘトだ。


それでもたまに、家族が寝静まったとき、こっそり「わたし」の椅子に座る。そこに身体を預けたら、好きな本を読んでもいいし、ぼんやりテレビを眺めても良い。もちろん何もせずにいてもいい。


自分の椅子に座って、今日あったことや、これからのことをぼんやり思い浮かべる時間を過ごす。その時間のわたしは、会社員でもあり、母親でもあるが、夫を愛する一人の女性でもあるし、子どものころから本や漫画が大好きな「わたし自身」でもある。

ちなみにその椅子は自宅にあるとは限らない。わたしはお酒が大好きなので、一人で飲み歩くこともあるけれど、いろんな酒場に自分の椅子が用意されているように感じる瞬間がある。カウンターのスツールも、居酒屋の店頭にあるようなビールケースで作った椅子だってそうだ。そこに座る瞬間は、会社員でもなく、母親でもない、わたし自身としてただ時間を過ごせている気がする。


あるとき居酒屋のカウンターで隣り合わせたマダムに言われたことがあった。彼女も一人客で、瓶ビールに軽めのつまみ、レースの縁取りが美しいハンカチでグラスの水滴をぬぐいながら、「昔は女が一人で居酒屋で飲んでるなんて、って言われたのよ。本当にいい時代になったわ」と朗らかに笑っていた。


そうか、昔は「わたし自身」の椅子なんて持つことが難しかったのかもしれない。そう思うと、わたしも「いい時代になりましたねえ!」と嬉しくなり、小さくふたりで乾杯をし、冷えたビールを飲み干した。


そういう時間が頻繁にあるわけではないけれど、そうやってわたしは一人で深呼吸している。深く深く呼吸をして、しっかり充電することができれば、慌ただしい生活にもまた戻っていけるからだ。

そしてそう遠くはない未来、子どもが巣立って、仕事が一段落したとき。

夫と二人で座れるこぢんまりとしたソファを用意して、そこでお茶でも飲みながら、時間を気にせず、おしゃべりする時間を作るのを楽しみにしている。サイドテーブルでも置いて、テレビは付けずに、あんなことがあったね、と思い出話をしてもいいし、これから先の、そうは長くないかもしれない未来の話をしてもいい。そういう日を楽しみにして、今日もわたしは椅子を座り変え続けていくのだと思う。


こうしてわたしは様々な椅子に座っていろんな時間を過ごしていく。もちろん、椅子は役割を強制するものではない。あくまで自分の生き方が優先だ。でも、立ち歩いてばかりじゃ疲れてしまうし、自分の身体に合った椅子を見つけ、そこで安心して身体を任せられるというのは、自分の人生にとって、とてもすてきな相棒だと思っている。

PROFILE

はせおやさい

会社員兼ブロガー

東京都出身。SaaS企業のデザイングループで管理職をしながら、仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログ「インターネットの備忘録」に綴っている。


ブログ:https://hase0831.hatenablog.jp/


CREDIT

執筆:はせおやさい 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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