どうせ長い時間を過ごすのだから、納得できる場所に“すわる”。私の椅子探索|作家・安達茉莉子さん
千座万考

どうせ長い時間を過ごすのだから、納得できる場所に“すわる”。私の椅子探索|作家・安達茉莉子さん

#キャリア #ライフスタイル #仕事・働き方

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


今回の寄稿者は、作家/文筆家の安達茉莉子さん。執筆のために長い時間を過ごすための仕事椅子と、その先に見据える窓の外の“とある風景”について、綴っていただきました。

本来は不自然である?「座る」から全てが始まる

「座るって、人間にとって不自然な形なんですよ」


 そんなことを聞いたのは、コンテンポラリーダンサーである柿崎麻莉子さんのワークショップだった。

 人間は、つまり生き物は、本来絶えず動いているもの。座るとは、その形に無理やり固定されて閉じ込められる感覚だという。

床に座って笹を食べ続けるパンダのように、私自身は座ることに何ひとつ文句なく馴染みきっていたので、この視点は新鮮だった。ダンサーの身体感覚では、座るとは楽な形ではなく、ある意味特殊状態なのだ。

 物書きでも、立って執筆するスタイルの人はいるが、私はやっぱり座らないと落ち着かない。どんな場所にいても、頭がざわついてくると座れる場所を探す。とにかくカフェでもなんでも、腰を据える。そうすると言葉が回り始める。充電ポートに接続するみたいなものなのだろう。私の体にも踊るものがあるとしたら、机と椅子に座って初めて始まる。

長い時間を座って過ごす

 朝7時に起床。9時には始業。夕暮れに集中力が切れ、ご飯を食べた後、夜は力尽きるまで。集中できずに虚空やスマホを眺めている時間も多いが、家にいる日は1日の大半を仕事机で過ごしている。そんな生活をもう何年も続けているが、2024年の夏に引っ越して、念願の仕事部屋ができてからは、さらに座る時間が増えた。

 いかに好きでやっているとはいえ、あまり働かせすぎると社員(私)がストライキを起こすので、週に1日は完全に仕事部屋に入らない日を作った。だけど入るなと言われると入りたくなるもので、結局休みの日も仕事部屋に忍びこんで遊び、なんだかんだで毎日入り浸っている。


 さて、そんな座り生活を支える椅子とは、どのようなものだろう?

 順調に書き続けられるとしたら、恐らく一生の大半を座って過ごすだろう。自分の体(特に腰)を捧げて長年探究を続けているが、まあなかなか正解がわからない。

仕事椅子の変遷

 今の部屋に引っ越す前は、横浜のアパートに住んでいた。間取りは1DKだったが、D=ダイニングはどこだったのかいまだにわからない。寝るのも仕事も全部一緒くたになった、小さなオールインワン形式の部屋。元々東京都内に住んでいたが、コロナをきっかけに勤め先の会社がなくなり、一旦妹夫婦の家に居候していたから、自分の部屋が再びできて本当に嬉しかった。

横浜のアパートで構えたデスク

 大きな仕事机を置いて、心機一転。7畳で広くはないので、少しでも雰囲気の良い椅子を選んだ。見た目を重視し、仕事椅子とインテリア用の椅子の中間くらいの椅子。ただすぐに腰に限界がきたので、骨盤の角度を調整するクッションを使っていた。

 この頃は、まだ週3でアルバイトや会社員として兼業していたため、実際家で座っていた時間はさほど長くなかったと思う。家にいると捗らないので、外に出てカフェや図書館で仕事をしていた。それでも、この部屋で最初のエッセイ集から、詩集も含めて4冊ほど執筆した。連載原稿も含めて書き続けた。

 さすがに兼業生活がしんどくなり、清水の舞台で意識を失うほどに怯えながら退職を決め、専業となった。貯金などない。そうなると自然に、生産性を上げるぞと尻に火がつく。ベッドに転がって虚無になっている時間を減らし、椅子に座って机に向かっている時間を長くしたい。


 そうやって励んでいたら、ある朝突然、ぎっくり腰になった。痛くて書くどころではない中で、これ以上は無理だなあ、と悟った。書くのは好きだ。だけど、座っている時間そのものがしんどい。座り心地が良くない椅子に何時間も座っていると、体はその時間を丸ごとストレスだと認識する。ただでさえ怠惰なのに、無意識に仕事=ストレスと認識してしまっていては、捗るわけがない。快適でない環境から逃げていく生き物のように、私の体も仕事机を嫌がり始めた。仕事机よりもベッドの方に長くいる。だけど精神は、何やってんだ! 仕事しろ! と焦りまくっている。

 これはもう環境を変えないと。椅子を買い替えるだけでは不十分だ。荷物も増えて手狭だし、本棚もクローゼットも飽和状態。関心事項はどんどん拡大していく。多分これ以上この環境では、私の世界は広がっていかないだろう。


 根っこが詰まりまくった植木鉢を大きな鉢に植え替えてあげるように、私も私を広い場所に移してあげなければならない。そう考えて、広い部屋を探し始めてから、今の物件を見つけて、鎌倉に引っ越した。

 念願の仕事部屋で、引っ越しを機に、椅子も新調することにしたが、また悩みが生じた。

 結局、仕事椅子はどのようなものが良いのだろう。有名なチェアももちろん存じ上げているが、引越し後でお金がなさすぎて、手が届かない。

 腰をやった反省を踏まえて、機能優先にしたい。だけど、いかにもオフィス然としたオフィスチェアではなく、椅子そのものとしても愛せるのがいい。


 予算の範囲で色々探す中で、仕事にも使えるゲーミングチェアの存在を知った。アイボリーカラーのもっちりとした椅子で、座り心地も良さそうだし、何より見た目が可愛い。

 仕事もできるゲーミングチェア。もしかしたらこれは良い発想なのではないかと思った。ワークしている時間もだが、むしろ休憩時間の充実をはかる作戦だ。長時間仕事をするための椅子ではなく、こまめに休めるようにする。オットマンありのモデルだったので、ポモドーロタイマー方式で休憩を入れて、足を伸ばして適宜グニャーンと横たわる。時代は副交感神経だ。なんて思いながら、1年近くこのゲーミングチェアを使っている。今のところ腰に大きな問題はないが、今は新しい仕事椅子を探している。

読書用の椅子で人は本を読むようになるのか

 リラックス時間を充実させる作戦は、これはこれで正解だった。だけど、人は味をしめるもの。もっと強いリラックスを、体が要求するようになってきた。

仕事椅子でリラックスしようなんて、組合(私)がNOと言ってきたのだ。仕事机というスポットから立ち上がり、場所を変えて、休むべし。


 私の仕事場には、本棚の前にスペースがある。そこには小さな木のベンチを置いて絵を立てかけて飾っていたのだけど、そこが空いてるよねという感じが、自分の内側からしてくる。

——あそこに読書用のソファを置いたら、良いだろうなあ。

 ふとそう思った。これは、引越し後に遊びにきた友人にも、

「ここのスペースには読書用の椅子でも置いたらええ」と、そういえば提案されていた。その後も、思い出したかのように「読書用の椅子は買ったか?」と、謎の確認が入っていたっけ……。


 思い描いてみると、なんとも良さそうで頭から離れない。だけど悩む。

——だって、いるか? 読書用の椅子なんて。

 お前は貴族か? 普通にリビングのソファに行けばいいじゃないか。

 そもそも読書用の椅子で、本当に本を読むようになるのか。今の仕事椅子でだって読めるだろう。本棚まで机からはたった数歩だ。

 自分の中の議論が白熱する中、内なる私が手を挙げた。


「今の仕事椅子で、あなたはこれまで本を読んでいましたか?」


 自分議会が静まり返る。

 圧倒的に正しい。今までやらなかったのなら、絶対一生やらない。


 本当に読書するようになるかは確かに怪しかったが、最終的に、本を結局読まなかったとしても、家に心地よい椅子が増えるのは良いことではないか、という結論に達した。


 そこで、SNSでみて気になっていた、一人がけのビーズソファを購入した。実際使ってみると、これが思ったよりもよかった。まず、ちょっとした休憩にいい。オットマンもセットで購入したので、足も伸ばせる。アイボリーのコーデュロイ素材のカバーは、ラグなしで床においても傷を気にしなくて済む。体も埋もれすぎないし、立ち上がりやすい。人をダメにするソファという言葉があるけれど、もう少し突き放した関わり方をしてくれるソファだ。

本棚の目の前にあるスペースに構えたソファ

  そして、「家に心地よいソファが増えるのは良いことではないか」と考えた自分の感覚はある意味で当たっていた。

 このソファに腰掛けて本棚を眺めると、本がまったく違って見えたのだ。立って本棚を見ている時にはあまり目に入らなかった本が、よく見えるようになる。積読の本たちが急に鮮やかに見えてくる。読みたい本が、感覚的にすぐわかる。

 何せ目の前に本があるので、休憩の間にスナック感覚で開くようになる。本は別に通読しなくていい。パッと開いたページをめくるだけでも、全く違った世界に繋がる。

 面白いことに、本棚の「植生」も変わり始めた。前はテーマごとに分けていたが、今は、読みたいと思った本がそのまま、ソファに一番近い棚にわさわさと集まってくるようになった。やっぱり、人は自分の手の届く範囲に物を集めたがるものなんだなあ。逆にいうと、読みたければ、手がすぐ届くところにないとダメなのだ。


 集まってきた本をみると、ひとつの法則性があった。

 まず、もう何度も読んでいるけれど、何度も読みたい本。文体が好き、空気感が好き。文章を使って、作品世界を生み出すことに成功している書き手の本。こうした本はもうほとんど音のない音楽に近い。

 次に多いのは、旅の話、登山の本、宇宙の話。自分を手放さず、それでも遠くに行こうとする人たちの物語。ノンフィクションや自分の経験をもとに書いたものであっても、物語になることに知らずのうちに成功している本たち。

 物語が好きだなあ、と思う。心を慰撫するもの。少しの時間、その世界に入らせてくれるもの。そういうものを私は読みたいし、欲している。

 このソファが来たことで、仕事部屋は、なんだか一層落ち着く場所になった。読書ソファは一時的な逃げ場でもあるが、その効果は一時に留まらない。公然とつくられた隠れ家であり、秘密基地。大人の遊び場だが、これは貴族の贅沢じゃない。人類の夢だ。

本気の仕事椅子を探す日々

 リラックス場所は確保できた。今度はようやく、仕事椅子そのものを探している。

 今年、過去最大で、連日座っている日が増えた。だけど、単に座り時間が増えたからだけではない。私はイラストもやるが、作画をしている時間が増えた。そして、全く予想していなかったこと[o1] だが、漫画原作の仕事を現在進めている。プロットだけではなくネーム作業もやっているため、一日があっという間に終わる。iPadで作画しているので、これまで文章の執筆を中心に過ごしているときよりもさらに前傾姿勢になる。

 そうなると流石に、一日の終わりには今までになく腰のあたりが張るようになった。夜、ベッドに横たわって腰をひねると、ピキッとした痛みが走り、「アウ……」と、哀れがましい声が出る。

 これは、次のフェーズがやってきた。仕事のための本気の仕事椅子を導入する時だ。それも、前傾姿勢フレンドリーの。


 ここで最初の問いに戻る。

 そんな「座り生活」を支える椅子とは、どのようなものだろう?

 「座り生活」であり、「座る人生」だと考えたら、椅子はただ腰を支えてくれれば良いというものではない。

 私は元々会社員時代が長く、多いときには月150時間近く残業をしていた日々がある。ブラインドで外が見えない勤め先の廊下で、私は夕焼けをこれからずっと見逃し続けるのだろうか、と絶望したのを覚えている。

 一種の極限状況だったことは間違いない。だからか、良いのか悪いのかわからないが、何事もどこかメタ的に見てしまう癖がある。仕事に打ち込むのも、ストイックにやるのも良いことだ。だけど、結局それが何になる?

 私は2人いるのかもしれない。文章を愛し、仕事に打ち込み、かなりの時間を捧げている自分と、それを眺めている、ただの生き物としての自分と。

 後者を「生身の自分」としよう。生身の自分は、生きることを愛している。あらゆる風景や景色、風や光、陰、暑さ寒さを愛している。そういうことを経験するためにこの地球に存在しているのだと、完全に確信している。


 そんな生き物は、決めている。もう2度と、窓から外の景色が見えない部屋に、自分を置いたりしないと。どうせ長い時間を過ごすなら、私は過ごしていて美しい部屋がいい。

 締め切りに追われたり、書けないとのたうちまわったり、急に降りてきて怒涛のように書いたり。人間として不自然な「座る」という形に体を固定して、書き続ける生活は、私が心から願ったものだ。そんな生活を、支えうる椅子は、どんなものだろう。

 今もまだ探し中だし、すぐに見つからなくても構わない。だけど、どんな椅子でも、人生の特等席になると良い。そんなことを、現在の仕事椅子に座って、ゆったりと、考えている。

PROFILE

安達茉莉子

作家・文筆家

作家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活など様々な経験を経て、言葉と絵による表現の世界へ。著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『らせんの日々 - 作家、福祉に出会う』(ぼくみん出版会)、最新刊に『とりあえず話そう、お悩み相談の森 解決しようとしないで対話をひらく』(エムディエヌコーポレーション)(2025年10月21日発売予定)などがある。

CREDIT

執筆・写真提供:安達茉莉子 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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