海辺の町へ移り住んで定着した2つの「すわる」習慣は、自分と世界を結びつける|作家・のもとしゅうへいさん
千座万考

海辺の町へ移り住んで定着した2つの「すわる」習慣は、自分と世界を結びつける|作家・のもとしゅうへいさん

#アイデア・工夫 #ライフスタイル #仕事・働き方

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


今回の寄稿者は、作家・のもとしゅうへいさん。大学を休学して移り住んだ海辺の町で、2つの「すわる」を行き来しながら発見した自分の姿とは。

見知らぬ町で、暮らしをみつける

すわる、という日常の動作に特別な意味が付け足されるようになったのは、大学を休学した2022年の春のことだった。僕はそれまで暮らしていた東京を離れて、神奈川県の真鶴という海辺の小さな港町へ移り住んだ。職業訓練のようなかたちで横並びに大学を通り抜けて、社会へ接続されることに違和感があった、といえば聞こえはいいが、実際は都市から離れた場所で思うままに生活をしてみたかった。


海のそばにアトリエを構える、畑を耕し野菜を育てる、そこでたくさんの本を読む──。就きたい仕事や業界について研究するのではなく、将来送りたい生活を具体的に想像して、自分の周りで即興的に立ち上げてみる。生活そのものを手で触りながら研究してみる。老後に思い描くような暮らしの楽しみを、今、先回りしてやってしまおうと考えたのだ。


町の図書館でアルバイトをして生活費を賄いながら、真鶴出版という、出版と宿を兼ねたお店を手伝うようになった。大学の授業へは行かなくなり、本を読んだり、畑で野菜の世話をしたり、絵を描いたりして暮らしていた。


日常的に文章を書きはじめたのも、ちょうどその頃だった。住まいが変われば、暮らしにおけるあらゆるものに新しい風が吹く。新しい人と出会い、新しい時間が一日の中をめぐるようになる。住まいが変わっただけなのに、自分という一人の人間を成り立たせている編成が、目まぐるしく組み替えられていく。確固たるものだと思っていた個人的な価値基準が揺らいでいく。自分という人間はこんなにも変わりやすかったのか、と複雑な思いを抱く一方で、その変化を新鮮に喜ばしいものとして受け止める素直な感情もあった。そして、単身で見知らぬ町に暮らすというのは、やっぱり少し孤独だった。

日々の言葉を確かめるところ

同時に、そのようなままならない心の変化を自分なりの方法で記録することができないか、生活しながら試すようになった。自分が対面している複数の感情は一体何なのか。どこからやってくるのか。日常のふとした拍子に立ち現れる瞬間的な気分のようなものを捕まえておきたかったし、それらのスピードに追いつくためにはその都度言葉を呼び起こして、目に見える文章という形式で置き換えておくことが必要だった。

だからとにかく、その日に起こった出来事とその時自分が思ったことを、記憶の中からごろりと取り出し、裸のまま机の上へ置くような気持ちで夢中になって言葉を書いていた。書き残した言葉の束を見返すと、エッセイや詩らしきものが織り混ざっていた。


町はずれに借りた戸建の賃貸住宅は風通しの良い高台に位置しており、寝室の窓からは高架と青い水平線がみえる。キッチンを入れて部屋は四つ。単身で住むにはいくらか広々とした造りだった。

東向きのひと部屋を作業用のアトリエにし、木製のテーブルを出窓のそばにぴったりとつける。ブラックのオフィスチェアをその前に置く。この椅子はかつて、東京で一人暮らしをはじめた時に実家から運び込んだものだ。

午前5時。海も空も町も、すべてが鈍い青色に包まれる時刻に顔を洗ってキッチンへ向かう。マグカップに水を汲んでテーブルに置く。カーテンを開けて戸外の明かりを部屋に引き入れる。オフィスチェアに腰掛けると、透き通った窓から蜜柑の木々と丘と小さな畑がみえる。やわらかい風が肘にぶつかる。MacBookを静かに開いて、文字を打ち込んでいく。

朝の窓辺と蜜柑畑

言葉を書く時間が日常に組み込まれるようになると、「すわる」という何気ない動作がもつイメージも少しずつ変わってくる。思えば自分は、一日の多くを座らずに過ごしている。畑にいても、仕事に出ていても、基本的には足腰を使って歩き回って、それなりに積極的に土地や人と関わっていこうとしている。それはいわば、自らの関心を外向きに広げていくような運動だ。それとも見知らぬ町に新たな生活を立ち上げようとする、移住者ならではの衝動かもしれない。身ひとつで動き回ることで周囲の世界が広がっていく感覚がそこにはあった。


だからこうして椅子に腰を下ろし、継続的に辛抱強くじっと座っている時間というのは、何かを書く時間を除いて他にない。机の前に座るというのは身体の移動を止めることだ。その場にとどまり、静かに頭を働かせる。思い出すのは日中せわしなく経験したことや誰かが言っていたこと、偶然目にしたもの。そういう手触りのある日常の実感を一つ一つ確かめていく。目を離すと浮き上がって飛んでいってしまいそうな小さな感情を、言葉に置き換えることで集める。あるいは言葉を探しに、自分の記憶の中をくまなく歩き回る。

言葉を書こうと机に向かうのは、自らへ内向きに深く入り込んでいくフィールドワークのようなものだ。意識の内側へ向かいながら、手にした言葉を身体の外側へ送り出していく一種の運動だ。そのための足場として、座ることがくっきりと存在していた。この明るい部屋の、この位置に座るということが、まさしく言葉を書きはじめるという声にならない宣言だった。自分だけが発することのできる宣言。自分の他に受け取り手のいない、小さな宣言である。


窓辺で一人、ぱたぱたとキーボードを叩く。6時過ぎまで机に向かうと、玄関を出て自転車にまたがり、畑へ向かう。朝方の涼しいうちに草をとって土を整え、オクラやナスに水をやっておく。7時過ぎに家に戻ってシャワーを浴びる。

海にからだを浮かべるような

それからもう一つ、自宅で座れるものといえば、海側の寝室へ置かれたビーズクッションのソファだった。こちらはこの真鶴の部屋へ引っ越す際に新調したもので、ポリエステル生地のカバーの内部に微粒子ビーズが詰められていて、やわらかい。体勢に合わせて表面が沈み込んで変形し、腰回りが包み込まれるような安心感がある。

書きものをする時に腰掛ける前述のオフィスチェアとは役割が異なり、こちらは主にからだを休めたり、落ち着いて本を読んだりするために使う。寝室のドアやふすまを開けはなし、四方の窓を網戸にすると、寝室の中央に穏やかな風が集まってくる。そこへソファをどさりと置いて座るのだ。本棚から無造作に抜き出した一冊を手に、深々と体重を預けながら座面に埋まる。かつての都内の小さな賃貸の一室では、こんな振る舞いはできなかったし、そもそも思いつけなかった。

低くなった目線を窓の外へ向ければ、午後の水平線がちらつく。座るというより、眠っているような体勢だ。ソファとからだがぐにゃりとした一つの形になって、小舟のように寝室の真ん中に浮かんでいる。静かな部屋で紙の本を読んでいると、知らぬ間に自分の意識が本の内側へ入り込んで、そこへ書かれた言葉が直接からだに染み渡ってくるような瞬間が訪れる。

日常を送るうえで湧きおこる戸惑いや寂しさは、誰かが書いた本を読むことで、適切な距離から見つめ直せる。本に触れる時間は、固くなった意識をほぐし、見知らぬ町に暮らしはじめた自分自身の立ち位置を客観的に捉え直すことのできる代えのきかないひと時だった。そしてそんな読書体験を体現するかのように、このやわらかいソファは、くたびれた心に不思議な安らぎを与えてくれた。

海側の明るい寝室

形状も役割も異なる2つの椅子が立ち上げる、2種類の時間。夢中で日々を暮らしていると、座ることはあまりに透明だ。当たり前で自然なふるまいとして行き渡っているばかりに、その本質はどこか捉えどころがないように思える。


しかし、座ることをめぐって呼びおこされる記憶や感情には、人それぞれに固有な匂いや色合いが案外しっかりとしがみついているものだ。東京を離れて移り住んだ真鶴という海辺の町で、今では僕は、座ることを頼りに自分の姿を発見していくことができる。座ることで身の回りを見渡し、世界と自分を自分なりに結びつけていくことができる。

PROFILE

のもとしゅうへい

作家

1999年生まれ。文筆、イラストレーション、漫画、出版などの活動を行う。著書に『海のまちに暮らす』(真鶴出版)、『おばけのおいしいひと休み』(KADOKAWA)、『いっせいになにかがはじまる予感だけがする』(セルフパブリッシング)など。第1詩集『通知センター』(思潮社)で第30回中原中也賞最終候補に選ばれる。現在、東京藝術大学大学院美術研究科在籍。

CREDIT

執筆・イラスト:のもとしゅうへい 編集:桒田萌(ノオト)

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★★★★☆

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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