生活する、感じる、腰かける、そして書く。「すわる」を軸に行き来する日々について|作家・小原晩さん
千座万考

生活する、感じる、腰かける、そして書く。「すわる」を軸に行き来する日々について|作家・小原晩さん

#アイデア・工夫 #ライフスタイル #仕事・働き方

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


今回の寄稿者は、作家の小原晩さんです。原稿に取り掛かり、筆を進めるのがゆっくりだという小原さん。「すわる」を軸にあちこちの動作を行き来しながら、原稿に向かっていく小原さんの生活について、描写的に綴っていただきました。

よっこらすわり、原稿を書き始める

窓を開け、洗濯機をまわし、皿を洗い、いたるところに散らばった本や資料を棚に戻して、お香に火をつけ、夏はアイスコーヒーとつめたいお水、調子が良ければカルピスも用意する。それから、よっこら、すわる、書く。


 集中するまで、かなり時間がかかるほうである。なにかアイデアがあるときはいいけれど、全くないとき(それはたとえば、こうして「すわる」というテーマが与えられているときに、どう書き出すかとか、どんなことを書くのかとか、そういうものが自分のなかでぜんぜん思い当たっていないとき)などはとくに、きびしい。

 アイスコーヒーを何杯も飲み干し、腰をくねらせ椅子をくるくる、もう何度も読んでいる本を読み返しては胸をうたれて、遠い目をする、からだをのばし、背もたれに体重をあずけて、すこしねむってしまう。想像上のおじいちゃんとなんらかわらない生活。おじいちゃんの生活は、うれしい。性に合っている。


 それで、ではどうやって、ぼちぼち原稿を書きはじめるのか。手遊びのような感じで、テーマの周辺のことを考える、そしてなんとなく書き出す、そうして書きすすめられるなら、その書き出しは合っている、書きすすめられないならそれじゃないので、ふりだしに戻る。構成、いわゆるプロットのようなものはエッセイでも、小説でも、つくれない。書きながらでないとわからない。書きながら、自然と運動のようなものが文章の中に生まれてくる。そういうものがわたしの好みである。

洗濯ものを干す、すわる、食べる、すわる、書く

 このくらい書くと、洗濯機がピーピーと鳴る。立ち上がり、せっせと洗濯ものを干す。このとき、原稿のことを考えていられるといいのだけれど、だいたい他のことを考える、というより思い出している。昨日の夜のこととか、手に残った感触とか、声のうわずりとか、朝のまぶしさとか。

 それで、すっかり途切れてしまう。集中はまた、遠くにいってしまった。すると、お腹がすいていることに気づいてくるので、冷蔵庫をあける。何かあればいいけれど、何かあるときは少ない。なので、部屋着からジャージに着替えて、寝ぐせを隠すために深く帽子をかぶり、部屋をでる。だいたい動きだすのは夕方を過ぎてからなので、風はやわらかく、気温もちょうどよい。日が落ちていくのを見ながら、後ろ手を組んでゆっくりあるく。なにを食べようか。スーパーに寄って、自分でごはんをつくるか、つくるにしてもなにをつくるか、涼みがてらスーパーに立ち寄り、ぐるりと見てまわる。いろいろ見ていたら、なんだか急に、いろいろめんどうだという気分が濃くなってくる。たとえば、キャベツひとたま切り刻めるほどの体力はもう自分には残っていないのだと自覚するほかなくなるような感じ。もう思い出せない思い出に責められつづけているような感じ。しかるに、洗わなくてよい野菜炒めと、サッポロ一番塩ラーメンを買う。いくら落ち込んでいても、今できるいちばんのことをしてあげよう、と大人になったから思うのである。背中が丸まっていると自分で分かったなら、その瞬間に胸を張ってみればよいのだ。姿勢はぐんと伸びていく。


 部屋に戻り、お湯を沸かす。沸かしている間、台所に置いている小さな椅子に腰かける。もともと風呂椅子として買ったこの椅子は、風呂椅子にしては高すぎて、買い直したのだけれど、捨てるのももったいないので、ここにこうして収まっているのだ。そろそろ立ち上がり、フライパンを火にかけ、ごま油をたらし、野菜をいためる。もやしをしなしなにしすぎるのも良くないし、芯を残してもいけない。思わず集中する。お湯が沸いてきたので、麺を茹でる。すぐ出来上がる。

 原稿を書くための机ではなく、ごはんを食べたりするための低いテーブルにラーメンを置き、だらりとすわって、食べすすめる。なにかみようかな、とか思っているうちに食べ終わる。すぐ立ち上がって、片づければいいものを、しばらく動かず、だらりとすわったままでいる。最近、写真を撮ってくれた写真家が帰り際に渡してくれた写真集をひらいてみる。胸にくる。過ぎ去ったもののにがにがしさ、にがみのなかにあるうつくしさ、他人の奥にふれるとき、わたしはすくなからず動揺する。適当にかけていた音楽と、ページをめくる音だけが部屋のなかにある。


 やっと立ち上がり、どんぶりをシンクにおいて、水をながす。

 またアイスコーヒーをグラスにそそぐ。すわりなおして、書きすすめる。こういうふうに、わたしにとって、生活と書くことはむすびついている。生活する、感じる、感じたから、書く。そういう順番が必要なのだ。書くために生活をする、みたいなのは、自分にとっては不自然である。不自然なことをすると、不自然な文章になる、気がする。だからしない。こうしてテーマがあるときにも、たしかに感じたものを書きたいと思っている。これは心がけであって、ほんとうにそうできているのかどうかは、わからない。わからなくとも、心がけて、書く。すると、こうして、文章はすすんでくる。すすんだからといって、その文章はよいものであるのか、わからない。果たしてそれを誰が判断するのか、わからない。もしも自分であるのなら、自分はよいと思う。そういう温度で、書く。

サッポロ一番塩ラーメン

すわってこつこつと書く

 なんとなくかかっている音楽がしっくりこなくなって、いろいろ聴いているうち、やけにあくびがでるようになったので、シャワーを浴びる。

 低い風呂椅子に腰をおろし、熱いシャワーを浴びる。髪を洗う、体を洗う、顔を洗う。気分がよければ鼻歌がでる。あまり大切ではない曲をうたう。思い入れのない曲をうたう。サビ前がすこしすき、くらいの曲をうたう。うたっているうちにすきになる。洗顔のときは黙るほかない。発想がくるときはあるが、毎回じゃない。

 風呂場を出て、すこし涼み、洗面台の前に、台所に置いている元風呂椅子をもってきて、どっかりすわり、ドライヤーで髪を乾かす。温風爆音。すべてを終えて、つめたい水を飲みたいけれど、ないのでぬるい水道水をのむ。わたしは水道水をのむ家で育った。

洗面台の前に置かれた風呂椅子

 作業机の前にすわりなおす。そうして、また原稿にとりくもうとするけれど、なんとなく頭の隅にカラオケの感じがあり、パソコンでYouTubeにてカラオケと検索して、うたう。2日前、大人数でわらわらと移動した先にカラオケがあり、みんな愉快にうたっていたので、密かにわたしもうたいたかった。しかし、勇気はない。わたしにはいつも勇気がない。だから、ただ揺れていたのだ。そのせいである。マイクの代わりは、クーラーのリモコン。へたっぴでよし。たましいもこめなくてよし。すこしさみしい、さみしくてよし。


 うたい終わって、原稿をすすめる。こういうふうにあっちにいったりこっちにいったりするので、筆は遅いほうである。遅くともよし、とはならない。だからといって、はやめることもできないのだから、とりあえずは、こつこつとやる。引きで見たら、わたしたちはかならずこつこつ生きている。どれだけ怠惰なおまえもね。だいじょうぶ、みんながみんな、それぞれこつこつ。そう言い聞かせて、向き合ったり、目をつぶったりしながら、なんとか、なんとか、やっていく。立っていることにつかれたら迷わずすわる。ねむることに飽きたら、あるく。あるくことにつかれたら、やっぱりすわる。そして、たっぷりとした風を感じる。そういうときに、感じたことを書く。すわって、書く。

PROFILE

小原晩

作家

1996年、東京生まれ。作家。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行し、のちに実業之日本社より商業出版。2023年、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。

CREDIT

執筆・写真:小原晩 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

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★★★★☆

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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