「好き」は揺らがないけれど、付き合い方は常に変化させている。ミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美さんが考える、偏愛との距離感
となりの偏愛LIFE

「好き」は揺らがないけれど、付き合い方は常に変化させている。ミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美さんが考える、偏愛との距離感

#カルチャー #キャリア #ライフスタイル #仕事・働き方 #趣味・遊び

日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探求している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第10回のゲストは、ミュージアムグッズ愛好家として、書籍の出版やイベント・グッズ企画などに携わる大澤夏美さんです。


学生時代に「博物館学」という学問と出会ったことで、美術館や博物館などの空間に対する興味が生まれ、それらを無二の仕事として確立した大澤さん。一度は、ご自身の偏愛との距離を置いた人生を歩みますが、その愛は揺らぐことなく、人生のとある過程で「仕事にする」という選択肢をとることに。


では、その過程にあった思いや、「好き」と向き合ううえでの苦労と喜びはどういったものなのでしょうか。偏愛との距離感を状況に応じて柔軟に取り続ける大澤さん。その視点や考え方を教えていただきました。

「メディア」としての役割を持つミュージアムグッズに魅了されて

— 「ミュージアムグッズ愛好家」という肩書き、とても稀有ですし魅力的だなあと感じます。そもそも、ミュージアムグッズのおもしろさや魅力は、どういった点にあるのでしょうか?

ミュージアムグッズ愛好家の大澤夏美さん

大澤

なんといっても、訪れた日の思い出や記憶を「グッズ」という形で持ち帰ることができる点にあると思います。作者や作品の背景にあるストーリーや情緒など、そういったものを展示空間の外にも持ち出すことができるのは、ミュージアムグッズならではの役割ですからね。


博物館って、決して高尚な場所ではなくて。気軽にフラッと訪れて、初めて出会う作品や作者と対話する空間なんです。その対話の片鱗を自宅にも持ち帰る、という気持ちでミュージアムグッズと触れ合っていただけたら、より一層その魅力を感じられるのではないかと思います。


また、自分のために購入するほかにも、友人や家族に向けた贈り物としてのミュージアムグッズも魅力的です。好きな色彩の作品とか、制作背景のストーリーが好きな作品を選んで、それのポストカードを贈る。そんなふうに、気軽にミュージアムグッズと触れてもらえたら嬉しいです。

今回は、大澤さんがグッズの取材でも訪れたことのあるアーティゾン美術館内のミュージアムカフェをお借りしてインタビューを実施。大澤さんイチオシのアーティゾン美術館グッズを伝授してもらった。「右手のポストカードは最近収蔵された中村彝《向日葵》のポストカード。美術館に新しく収蔵された作品もこまめにグッズ化されているので、訪れるたびに新しい出会いがあって楽しいです」と大澤さん

そもそも、どうしてミュージアムグッズに魅了されるようになったのでしょうか?

大澤

きっかけは、大学生(札幌市立大学・デザイン学部)のときに学芸員資格を取得するべく受けた「博物館実習」でした。当時から美術館や博物館は好きでしたが、ことミュージアムグッズについては、単なる“おみやげ”だと思っていたんです。


けれども、実際のところはそうではありませんでした。ミュージアムグッズは、展覧会を構成する要素の一つで、その博物館の意思やメッセージを体現しているものなんです。言い換えるならば、その博物館にとっては「メディア」としての役割を担っている。そう知ったときに、ミュージアムグッズの見え方が随分と変化して、モノとしての美しさもさることながら、改めて魅力的だと感じるようになりました。

—ミュージアムグッズへの視点が広がったり、深まったりしたことで、興味関心に拍車がかかったのですね。

大澤

幼少期から雑貨を集めることが好きだった、という素朴な背景もあると思います。子どものときはウルトラマンが大好きだったので、ソフビ(ソフトビニール素材)人形を買ってもらっては大切に保管していました。


もちろん、博物館で開催されている展覧会も好きで、だからこそ学芸員資格を取得しようと考えたんです。でも、その一環で触れた「博物館における雑貨(=ミュージアムグッズ)」に対して、ひときわ惹かれてしまったような感覚があります。

「仮」で名付けた肩書きが、いつしかハマり役に

では、「ミュージアムグッズ愛好家」としての活動を始めた経緯についても教えてください。大学、そして、大学院卒業後、すでにミュージアムグッズ愛好家を名乗るようになっていたのでしょうか?

大澤

いえいえ、全然。片鱗もありませんでした。北海道大学大学院卒業後は、学生時代の専攻とはあまり関係のないIT企業に就職して、システムエンジニアとして働いていましたから。その後も、採用人事を経験したりと、不思議なキャリアを歩んでいたように思います。

—学生時代は、博物館学に夢中だったと思うのですが、就職先としての選択肢には……?

大澤

「好き」を仕事にしたいという意思はあったので、いろいろと検討はしていました。ただ、博物館が好きで好きでたまらない人間が集まる環境に身を置いたからか、「このままでいいのだろうか?」と、視点が凝り固まってしまうような不安を抱くようにもなっていたんですよね。

不安、ですか。

大澤

博物館が好きで、博物館の研究をするために大学院に進学した人ばかりが周りにいるので、話がすごく合うし、コアな議論もできる。それはすごく楽しかったです。ただ一方で、世の中の多くの人は博物館に興味がなかったりするだろうし、なんなら足を運んだことすらないって人もいるはずで。


けれども、例えば自治体が設置した公立博物館は税金によって維持管理されています。そう考えると、「博物館が好きな人にとっての博物館」という立ち位置に収まってはいけないなと思うようになりました。


博物館への興味関心が薄い人に訪れてもらえるきっかけをつくりたい。そんな思いはありましたが、具体的にどうしたらいいのか、という答えにはたどり着いていなかったのが学生時代。だから、まずは世の中を知り、世間の感覚をきちんと学ぼうと、一般企業で働くキャリアを選びました。


新卒で入社した会社では3年間ほど働いたんですが、やっぱり文化的な事業に関わりたい気持ちが高まってきたので、転職して、大学院時代の母校・北海道大学にも関わりが深い、サイエンスコミュニケーション(科学研究の広報活動や社会実装)を事業としている企業で働きました。結婚を機にその会社も退職したので、改めて身の振り方を考える時間が生まれました。

—では、そうした思案の結果、「ミュージアムグッズ愛好家」という肩書きに……?

大澤

はい。といっても、当時は暫定的に名付けたものだったんですけれどね。今後の活動について検討していた際、すでに数多く手元にあったミュージアムグッズを活用して、なにか企画や発信をしたいなと思うようになっていて。そんな矢先に、札幌で「NEVER MIND THE BOOKS」というリトルプレス(同人誌、ZINE)の展示販売イベントが開催されることを知り、じゃあ作ってみるかと。


そのイベントに出店する際に自分の活動に名前を付ける必要があったので、「いったん」という気持ちで生み出した仮の肩書きが「ミュージアムグッズ愛好家」でした。結果的に、思っていたよりもしっくりとハマっているので、現在も変わらずミュージアムグッズ愛好家で在り続けています(笑)。

大澤さんが初めて出したリトルプレス『ミュージアムグッズパスポートVol.1』。ミュージアムショップや作家へのインタビュー、札幌市内で購入できるグッズの紹介など盛りだくさんの内容である

—このリトルプレス、一冊目とは到底思えないクオリティですよね。文章、デザイン、写真、あらゆる要素の完成度が高すぎるくらいです。

大澤

幸い、メディアデザインは学生時代からの専攻領域でしたし、結婚前に勤めていた会社でも広報物の制作を担っていたので、なにかを発信することに対する知見がありました。特に妥協しないと決めていたのは、誌面のデザインでした。


大学院でお世話になっていた教授にリトルプレスをつくろうと思っていると話したら、「大澤、デザインはおもてなしなんだぞ」とアドバイスをいただいたんです。たとえ一冊目でも、たとえ自費出版だとしても、デザインには徹底的にこだわれと。その意見をもとに、デザイナーとして働いている大学時代の同級生に声をかけて、一緒に制作を進めてもらいました。

博物館に興味のない人と向き合うために、愛を持った第三者でありたい

—現在の活動の一つである書籍執筆の活動も、リトルプレスをつくった経験があるからこそ実現できているものなのでしょうか?

大澤

そうですね。リトルプレスを4号ほど発行したタイミングで、制作ノウハウも溜まってきていたので商業出版に挑戦しようと考えました。


なにより「やりたい」という気持ちが強かったですし、リトルプレスを通じて世の中にもある程度需要があることがわかっていましたからね。それをきちんと伝えられるようにと、企画背景、想定読者、類書との比較などをガチガチに固めた論文みたいな企画書をつくって、各出版社に送付しました。結果として、わたしの理想としていた書籍を叶えられる出版社と出会えたので、本当によかったです(笑)。

初の商業出版である『ミュージアムグッズのチカラ』(国書刊行会)。担当編集者から「好きなようにやってください」と後押しを受け、大澤さんの理想を詰め込んだ書籍になったという

—書籍やリトルプレス、そしてほかの活動も含めて、博物館にまつわる「伝道師」ではあるけれども、どこか一歩引いた立ち位置でもある、という印象を受けています。その絶妙なバランスが、無二の仕事を生み出すのかなと感じましたが、大澤さんのなかで意識している点はありますか?

大澤

大きく分けると二つあって、「なにより愛を持つこと」と「外と中をつなげる意識を持つこと」を大切にしています。まず、興味関心がない分野で活動するのは、わたしにとってはむずかしいこと。学生時代からずっと研究してきたほど恋い焦がれる対象である点が、なにより続けるための原動力になってくれています。


けれども、同時に肩入れしすぎないことも強く意識していて。さきほどもお話ししたように、博物館は誰しもが興味を持っている場所ではありません。人生のなかでほとんど足を踏み入れたことがない人だって少なくない。そういう人たちにも興味を持ってもらうには、接点を生み出すための第三者視点が必要ですよね。

—なるほど。強い思い入れがあるからこそ誰よりも前のめりに取り組めるけれど、大衆を見つめる視点も忘れない……。そのバランスを見極めるのはすごく難しそうです。

大澤

ある意味、大学や大学院で行なっていた研究活動って、その訓練だったように思うんです。研究を進めて論文を書くには、強い愛情と、それを持ったうえで一歩引く力が求められるので。そう考えると、わたしは自分の特性や経験を存分に活かした活動をさせてもらっているのかもしれません。

“ミュージアムグッズ愛好家”だからこそ生まれた葛藤

―一方で、付かず離れずの距離感だからこそ、じれったさを感じる瞬間もありませんか?

大澤

おっしゃるとおりで、たくさんありますよ。やっぱり、博物館職員のような現場の人ならではの苦悩とか、大変さってあるんです。現場に向き合って変えていくのは職員の方々自身ですからね。好き勝手言える第三者的なポジションであることから、現場の人たちに対する申し訳なさも感じるので、「むずかしいな」と思うことはあります。


だからこそ、せめて、無責任な発言にならないようにとは考えています。「現場の人はどう思うのかな?」「持続可能性のある提案かな?」と検討してから発言するだけでも、随分と有意義な意見になったりするなあと思いますし。

―今回の取材では「偏愛」と「付き合い方」をキーワードにお話を伺ってきました。大澤さんにとって、ミュージアムグッズは紛れもない偏愛の対象であるけれど、距離やバランスの取り方をうまくコントロールすることで、持続可能な偏愛で在り続けているようにも感じられますね。

大澤

基本的には、遊びのような取り組みだからこそ真剣にやろうっていう気持ちで向き合っています。自分にとっては、偏愛と呼べるほどには好きなものを仕事にしているのだから、ちゃんと遊びきりたい。そんな感覚です。


ただ、実は朝から晩までミュージアムグッズ愛好家として働いているわけではなくて、現在も大学院の博士後期課程に在学していたり、とある専門学校の非常勤講師として働いていたりと、ミュージアムグッズ愛好家としての肩書きではない自分自身も存在していて。そこでの活動や学びが、また新たな気づきや視点をもたらしてくれている感覚もあるんです。


そういう意味では、わたしは常に、対象との距離を近づけたり遠ざけたりしながら人生をつくっているのかもしれません。根本的な「好き」は揺らがないけれど、付き合い方を常に変化させている。そうすることで、目線が変わり、視点が変わる。そういう自分自身を楽しんでいるようにも感じますね。
PROFILE
川村健一

大澤 夏美(おおさわ・なつみ)

ミュージアムグッズ愛好家

大学在学中に博物館学に興味を持ち、会社員を経てミュージアムグッズ愛好家としての活動を開始。主な著書に『ミュージアムグッズのチカラ』シリーズ(国書刊行会)、『ときめきのミュージアムグッズ』(玄光社)、『ミュージアムと生きていく』(文学通信)。


HP: http://momonokemuse.starfree.jp

Instagram:https://www.instagram.com/momonoke.museum/

X:https://twitter.com/momonokeMuseum

CREDIT

取材・執筆:詩乃 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト) 撮影協力:アーティゾン美術館

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★★★★☆

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PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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