片手袋研究家・石井公二が活動の先に見据えるもの。楽しみと苦しみの狭間で研究を続ける理由
となりの偏愛LIFE

片手袋研究家・石井公二が活動の先に見据えるもの。楽しみと苦しみの狭間で研究を続ける理由

#アイデア・工夫 #カルチャー #ライフスタイル #健康的なくらし #趣味・遊び

日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探求している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第9回のゲストは、「片手袋研究家」を名乗る石井公二さんです。


「片手袋」とは、路上に片方だけ落ちている手袋のこと。その研究をし始めて今年で19年目を迎える石井さんは、まぎれもなく「偏愛」の持ち主です。


しかし、愛を注ぎ続ける生活には苦しみも同居するそう。それらとどのように折り合いをつけ、変わらぬ愛を維持できているのか? 19年に及ぶ偏愛の秘訣に加え、片手袋研究で見据える目標、そして、「好きなことがない」と悩む人に対するメッセージなどなど、たっぷりと語っていただきました。

南極、深海、果ては宇宙まで? 実は奥深い「片手袋の研究」

—石井さんは片手袋研究家として、どのような活動をされているのでしょうか?

路上や木の枝、ガードレールなど、さまざまな場所で見つかる片手袋

石井

片手袋の研究で行うことは、主に「撮影」「分類」「考察」「発信」の4つです。最初に始めたのは、落ちている片手袋の写真を撮ることでした。


その後、写真の枚数が増えていくにつれて偏りのようなものが見えてきたので、それらの片手袋を自分なりに分類したり、発生しやすい場所・季節との相関関係について考察したりするようになりました。何月にどういう種類のものが多いのか、どこで発見することが多くなるか、などです。


加えて大事なのは、研究の成果を発信するということ。日々積み重ねている知見を自分の中だけに留めておくのではなく、外に出す。これも大事な活動の一つだと思っています。

—なぜ、発信が必要なのか教えてください

石井

自分だけのものにしておくより、多くの人に投げかけた方が研究も深まっていくためです。そこで、まずはmixiで片手袋のコミュニティを立ち上げました。実際、観測隊の方からは南極に落ちていた片手袋の写真をご提供いただきました。数千メートルの深海に沈む片手袋の写真を送っていただいたこともあります。

片手袋研究家の石井公二さん

—南極や深海にも片手袋は落ちているんですか!

石井

いや、僕は宇宙にもあると思っています。宇宙ステーションとか怪しい。


研究成果を発信していたもう一つの理由は、僕の中にあったエゴです。「片手袋の研究はすごく面白い」と実感していたので、世の中に気づいてもらいたかった。まだ若かったから「片手袋の研究をしてる自分を見てほしい!」という気持ちもありました。


だから、mixiだけでは飽き足らず片手袋に関するブログも立ち上げて、誰も読んでいない時期が5~6年続いていたのにひたすら更新していましたね(笑)。

撮ってみると得も言われぬ快感が。「片手袋」の研究が始まった瞬間

—片手袋の研究を始めた経緯は、どのようなものだったのでしょうか?

石井

そもそも、僕は研究しようと思ってこの活動を始めたわけじゃないんです。すべてが偶然でした。順を追ってお話しすると、小学1年生の頃にウクライナ民話の絵本『てぶくろ』を読んだんです。おじいさんが片手袋を落とす場面から始まるお話でした。これを読んだ後、実際に街にも手袋が落ちていることに気づいた。


その頃は、見つけるごとに「あるな」と思う程度でしたが、2004年にカメラ付き携帯を手に入れたんです。そして家を出ると、目の前に片手袋が落ちていた。それを撮ってみると、得も言われぬ快感と言いますか……。「すごくいいものだな」と、天啓を受けまして。

2004年、自宅前にてはじめて撮影した片手袋。この片手袋との出合いから片手袋研究が始まった

—そんな片手袋研究も今年で19年目ですが、今までに撮影した片手袋の数はどのぐらいにのぼるのでしょうか?

石井

6000~7000種類ぐらいになっていると思います。写真の数が増えて、それらを観察していくうちに、片手袋から都市の面白さや人間の感情の複雑さがどんどん浮き彫りになってきました。それで、片手袋の研究がより一層面白くなってきたんです。


たとえば東日本大震災の際、余震による交通機関の不安定さや計画停電が原因で、都内でも自転車通勤をする人が増えた時期がありました。その頃、よく路肩に自転車用のグローブが落ちていたんです。それで「自転車に乗る人が増えている」という事実が、片手袋から見えてきた。自転車に乗る人を見かけてもそんなことには気づかなくて、私にとっては人々が落としていく片手袋のほうが現実を強く伝えてくれたんです。

—片手袋を通して、人間や街に関する背後情報を推測していくわけですね。

石井

はい。川下に堆積しているものを見ることによって、上流どころか源泉の情報がつかめるかもしれない。そういうことです。

長年の研究で得られた最大の成果こと『片手袋分類法』。この分類によって片手袋を見つけやすく、イレギュラーなケースにも気づきやすくなるという

死ぬまで片手袋を研究し、数千年後の人たちに情報として託す

—片手袋を研究する中で、ご自身に課しているルールはありますか?

石井

まず、「絶対撮る」こと。バスの乗車中に片手袋を見つけたら目的地の手前で降りて撮りに行きますし、タクシーの乗車中に見つけた場合は家に着いてからその地点まで自転車で撮りに戻ります。当然、このルールのせいで用事に遅刻したことは何度もあります。


あとは、「絶対触らない」。細工をしないということです。「落ちている手袋がチョキの形になっていたら面白い」と頭をよぎったとしても、それをやり始めると観察研究ではなくなってしまうからです。


そして、「死ぬまで続ける」ことも決めています。こういう“出オチ”に思われそうな変な活動に取り組んでいると「片方だけの手袋を研究してる奴がいるんですよ、アハハ」という話だけで終わってしまう可能性があります。


別にそれでもいいのですが、僕としては「死ぬまでこんな研究を続けた奴がいる」と認知されたほうがもっと面白くなると思っていて。だから、安直に一回だけ笑いを取れればいいという姿勢では済まさず、死ぬまでやりきる。そこは決めています。

死ぬまで片手袋研究を続けることによって、石井さんが成し遂げたいことはありますか?

石井

極論かもしれないですが、後世のために「今、目に映っているものすべてを記録する必要がある」と僕は考えています。もちろんすべてを記録するのは無理なので、少なくとも「片手袋」については僕に任してくれ、と。片手袋を確実に記録し、何千年経った後世の人が触れたときにわかるような形でちゃんと情報として残しておく。そういう気持ちで取り組んでいます。こんな変なものを気にする人は将来誰もいないかもしれないけれど、万に一つの可能性にかけて。


そのためにも、自分がおちゃらけて取り組むのは違うと思うんですよ。周りから笑われるのは全然いいんです。でも、少なくともやる側はこういうくだらないことほど真剣にやったほうがいい。そして、手を抜かない。死ぬまで本気でやる。今の時代に「変なことをやってる奴がいるな」と面白がっている人たちにとっても、数千年後に僕の片手袋研究を気づいた人にとっても、僕自身はふざけないほうがいいと思っています。

片手袋を研究することで生まれた“呪い”、それでも研究を続けてこられた理由

―片手袋の研究を始めたことにより、石井さんの存在を知る人は増えました。このような状況になって生まれた苦しみなどはありますか?

石井

めちゃくちゃあります。研究の成果を発信するようになり、第三者的な視点が生まれたことです。


片手袋研究におけるいくつかのルールをなぜここまで厳守しているかというと、自分で発信したからなんです。「絶対撮る」と公言した手前、撮り漏らしがあった際に誰かが見ていて「あいつ、撮ってねぇじゃねえか」と言われてしまうのではないか、と。要するに、「誰かに見られているかもしれない」という第三者の視点を常に意識するがゆえに、自分を縛る「呪い」のようなものになってしまったんです。


実は、僕の本業は飲食店店主なのですが、お客さんがお店に手袋を置いていったとき「忘れましたよ」と渡しにいけなかったんです。だって、手袋を持っていったら「触ってるじゃないか!」と誰かに指摘されるかもしれないので。だから、そのときは妻に手袋を渡しにいくように頼みました。


あと、スペアリブを食べに行った際に、食事用の手袋が配られたんですけど、それも触れないから自分だけ油ベタベタになりながら食べました。

―おかしいですよ(笑)。

石井

でも、その場にいたのは僕が片手袋を研究していると知っている人ばかりだったんです。だから「あれ、触っていいんですか?」と言われたらやばいと思って。


この呪いの究極形は、自分が手袋を落としたときでした。片方の手袋を落とし、拾おうとしたときに“ビクン!”と体が止まったんです。身体反応レベルで、自分の行動を拘束する呪いになってしまっている。いいかげん、「なにをやってんのかな?」という感じになりますけどね。

—そんな呪いもありきの片手袋研究を、なぜ19年も続けてこられたのでしょうか?

石井

一つは、「続けた」のではなく「やめられなかった」からです。思想ではなく身体反応として、片手袋を見つけたら撮るという行為を自動的に行う体になってしまっている。写真を撮っているときは別に感動もなく、「タタタタ、パパッ、タタタタ」と感情の起伏ゼロの当たり前の行為としてやっています。


とはいえ、片手袋研究が心身共に苦痛を伴うものであれば、とっくにやめていたと思います。研究をする中で確実に喜びもありました。特に片手袋に出合う前の思春期だった自分は、無重力空間にふわふわ漂っている感覚に襲われていました。足場がないし、視点も定まらない。初めて法事に出席した中学生みたいに、「どうすればいいのかわからない」という感覚を持ちながら、ずっと生きていました。そんな時に、片手袋という視点が現れて、街や人に対する見方を身につけることができた。この世界にふっと立てた感じがあったというか。


研究をするうえでつらい部分もありますが、51対49ぐらいで楽しさのほうが若干上回っているから続けていられるんだと思います。

—「ブログを更新しても誰にも読まれない時期があった」と伺いましたが、その頃に研究をやめたくなりませんでしたか?

石井

それも、いつしか「自分のやっていることは誰に届かなくてもいい」と開き直れるようになりました。今では「片手袋研究で名を成すんだ」という欲求から解放されたと思っています。


ただ、その境地にたどり着けたのは2019年に『片手袋研究入門 小さな落としものから読み解く都市と人』(実業之日本社)を出版できたからです。これがなかったら、今も僕はすごく身悶えていたと思います。

—本の出版がエゴを成仏させてくれたんですね。

石井

そうですね。だから、僕は「誰に認められなくてもいい。継続することが最大の美徳なんだよ」と言う気にもなれないんですよ。一つのことを真面目に追究し、死ぬまで脚光を浴びない人もいるでしょう。僕はそれを無責任に「美しい生き方」とは言えない。やっぱり人間、なにかを成し遂げて注目されたい気持ちはある。そういう意味で僕はすごく幸運だったんだと思います。


ニッチなものに愛を注ぐ動機として、「これで注目されたい」と野心を持っている人もいるかもしれません。僕は別にそれでもいいと思うんです。やっている行為自体が面白ければそれで良くて、「どんな信念があるのか?」という出発点はどうでもいいんじゃないか、と。

石井さんのエゴを解き放ってくれた著書『片手袋研究入門 小さな落としものから読み解く都市と人』(実業之日本社)

「偏愛」が見つけられない人に送るメッセージと、楽しげな奥様の日常

—自分の好きなことがわからない人も多いですが、どうしたら石井さんのような「偏愛」が見つかると思いますか?

石井

登壇イベントに来てくれた人とお話すると、「自分は夢中になれるものが何もないので羨ましいです」と、結構言われます。僕は片手袋研究をニッチなものとして発信していたはずが、今や偏愛がないことに引け目を感じる人がたくさんいる。


だけど、好きなことがない人はそれでいいと思うんです。僕の妻がそうなんです。彼女は「趣味がない」とずっと言っていて。でも、毎日お酒を飲んで、ドラマを見て……。僕からすると、それってめちゃくちゃ楽しそうなんですね。


だから、焦って偏愛の対象を見つける必要はないと思います。趣味って、決して無理して持つものではないので。コンプレックスを持つ必要はないし、趣味がなくても人生って楽しいです。もし、この「となりの偏愛LIFE」の記事を読んでプレッシャーを感じる人がいたとしたら、「いや、今のままで良くない!?」と僕は言いたいです(笑)。

—片手袋研究には楽しさと苦しさの両方があるとのことですが、ほかの人におすすめしたいですか?

石井

おすすめはしないです(笑)。ただ、僕以外にも片手袋に注目している人はたくさんいます。SNSでわざわざ僕の名前を出す形で投稿されたポストもたまに見かけます。でも、僕はそれらに反応しないようにしているんです。そこでいちいち反応し、「片手袋の大家」みたいになるのがすごく嫌で。みんな好きにやってくれたらいいと思うんです。僕の研究に対して「これ、おかしくない?」と物申す人が出てきても全然いい。

—聞くところによると、伊集院光さんも片手袋を撮っていたそうですね。

石井

伊集院さんもそうだし、宇多田ヒカルさんは片手袋だけでなく落とし物全般に注目している人です。あと、意外なところではアメリカでトム・ハンクスが片手袋を撮ってSNSにアップしています。


だから、僕は2020年に片手袋研究の成果をまとめた英語版ビジュアルブック『Lost gloves on the road』を制作しました。片手袋研究という文化がある事実を世界の共通認識として定着させたいんです。この現象が一つの文化になれば、現代の記録として積み重なっていくものも増えるはずなので。

PROFILE
川村健一

石井公二(いしい こうじ)

片手袋研究家

1980年生まれ。街に片方だけ落ちている手袋を「片手袋」と名付け、写真撮影や発生のメカニズムの研究を続けている。研究成果は作品制作やメディア出演などを通じて発表。著書に『片手袋研究入門 小さな落としものから読み解く都市と人』(実業之日本社)。


X:https://twitter.com/rakuda2010

Instagram:https://www.instagram.com/koji.ishii.lostglove/

ウェブサイト:http://katatebukuro.com/

CREDIT

ライター:寺西ジャジューカ 撮影:塩谷哲平 編集:野阪拓海(ノオト)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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