他人が見つけてくれる「好き」もある。液体彫刻家・海老原和輝さんが、水の写真を撮り続ける理由
となりの偏愛LIFE

他人が見つけてくれる「好き」もある。液体彫刻家・海老原和輝さんが、水の写真を撮り続ける理由

#アイデア・工夫 #在宅ワーク #趣味・遊び

日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探求している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第4回のゲストは、SNSを中心に魅力的な「水」の写真を発表し続けている液体彫刻家の海老原和輝さんです。


ありふれた存在である「水」のさまざまな表情をとらえ、ときにアーティスティックに、ときに親近感を与えるタッチで作品化する海老原さんは、2016年頃から現在に至るまで、7年間ひたすら「水」を撮影し続けているそう。今回は、「水」の魅力や撮影秘話、撮影を続けるなかで生まれた新たなコミュニケーションと自信について、たっぷりとお話をうかがいました。「好き」の先にあるさまざまな可能性が、読者のみなさんの背中をやさしく押してくれるはずです。

傘の雨粒を撮った写真に「いいね」がたくさん。「液体彫刻家」の誕生秘話

― 海老原さんは、2016年頃からずっと水の写真を撮り続けているそうですが、きっかけは何だったのでしょうか。
海老原

もともと写真が趣味だったのですが、以前は風景を撮るなど、被写体もわりと王道な感じでした。その後、興味のあったマクロレンズ(近接撮影用のレンズ)を手に入れてからは、思いっきり接写できるのが面白くて、アリや植物を撮るのにハマりました。


ある雨の日、外出先から帰ってきたときに、傘についた雨粒がすごくきれいに見えて、これを接写で撮ったら面白いんじゃないか、と閃きまして。これが、意識的に「水」を撮った最初です。出来も良かったので、それをTwitterに投稿したら、ほんのちょっとだけいつもの写真より「いいね」がたくさんついたんです。これに気を良くして「水」だけに集中して撮り始めたら、「被写体としての水」の面白さに気づいて。いつの間にかそればかりを撮るようになっていました。

液体彫刻家の海老原和輝さん

海老原さんが最初の撮影した水の写真。傘に雨粒が落ちたときの様子

―水を撮影することの面白さや醍醐味は、どの辺りにあると思いますか?

海老原
水ってすごく流動的で、1か所に留めておくことがなかなかできないじゃないですか。でも、写真として切り取ることによって、それが可能になる。これが面白くて。また、撮り続けてきたなかで思ったのが、水の写真を友だちに見せたり、SNSにアップしたりすると、けっこうな確率で「これ何?」「すごくきれい」と感想をもらうんです。


普段だったら、生活のなかで水を見ても「ああ、水だな」と思うだけで、なかなかそういう感想を持つことはないですよね。でも、写真に撮ることで、見る人の認識を変えることができる。そういうところに面白さや表現の可能性を感じます。

海老原さんの肩書きが「液体彫刻家」なのも面白いなと思いました。「液体『写真家』」ではなく、「彫刻家」と名乗るところにアイデンティティが表れているように感じます。
海老原

自分の撮った水の写真をぱっと見たときに、彫刻作品のように見えるなと思ったことが理由です。透明なガラス彫刻、みたいな。


でも、じつはこれ、偶然拾った言葉なんです。水を撮る活動を始めてから、ほかに似た作風の人はいるのかが気になってネットで調べてみたことがあって。結局、水「だけ」を撮っている人はあまりいなかったのですが、比較的似た作風の写真家さんが海外に1人いることがわかりました。


で、その人の記事を読んでいたら「これは液体の彫刻だ」みたいな一文が目に留まり、「めっちゃいいじゃん」と。ぼくがやっているのは、液体である水の一瞬の姿を写真として切り取って彫刻のように見せる表現なので、自分もそう名乗らせてもらおうと思ったんですね。この肩書きにしてから、撮る写真の方針がよりはっきりと固まりました。

洗い物、洗濯、お風呂——アイデアは日常生活のなかから生まれる

拝見していると、本当に「これはどうやって撮影しているのだろう?」という写真ばかりで驚かされます。まるでハイスピードカメラの映像を一時停止したみたいにも見えたりもしますが、水のさまざまな表情をとらえるために、どのような工夫をされているのでしょうか。

海老原

なにも特別な機材を使っているわけではなくて、普通の一眼レフカメラで撮影しています。撮り方も、すごく地道な作業で。例えば、この水の跳ねる瞬間をとらえた作品は、水を1滴1滴垂らして、落ちる瞬間にカメラのシャッターを切るという方法で撮影しています。

―そんなシンプルな撮り方だったのですね。連写をしてうまく撮れた1枚を選んでいるのですか?

海老原

いえ、連写ではなく、1枚ずつ撮っています。ちなみに、下に溜まっている部分と跳ね上がっている部分とでは色が異なりますが、これは白く色づけした水の上に、水色に着色した水をスポイトでたらしているんです。


水の色は、万年筆用のインクでつけています。シャッターを切るタイミングがすごく難しいうえに、失敗が続くと水が混じり合って色のコントラストがつかなくなってしまうので、早く決着をつけないといけない。だから、ものすごく集中力を要します。

撮影の様子を再現してくれた海老原さん。撮影場所は家のキッチンが多いそう。「容器が小さいので、思いっきり寄らないと日用品とか余計なものが映り込んでしまうんです」とのこと

作品のアイデアはどんなところから生まれてくるのでしょうか。

海老原

日常生活のなかで、水に接する機会って多いじゃないですか。洗い物とか洗濯とかお風呂とか。そういうときに、ふと水がきれいに見える瞬間があって「これは撮影すると面白そうだぞ」って。コロナ禍以降は仕事がほぼリモートになり、家事をする機会も増えましたし、手を洗う習慣も定着しました。水に接する機会が増えたことで、よりアイデアが生まれやすくなっているかもしれません。


あとは、好きなバンドのミュージックビデオを見たときに、液体の表現が使われていたら、「自分でもやってみよう」と思うこともあります。映像から閃きを得て、アレンジを加え、自分だけの水の表情を追求するという感じですね。

一眼レフカメラからスマホへ。撮影機材の変化が生んだ「身近な雰囲気」という視点

海老原さんは、普段はエンジニアのお仕事をされているそうですが、作品をつくる時間はどのように確保しているのでしょうか。

海老原

コロナ禍前は週5日、普通に出勤していましたが、コロナ禍になってからは週1で出勤、あとはリモートです。仕事はフルタイム勤務で、10時から19時までなので、仕事が終わってから夜中撮影することが多いですね。休みの前日などは、朝方まで水を撮っていることもあります。楽しくなると、時間を忘れてしまうんですよ。

すごい集中力ですね! 撮影は、基本的に「自宅+一眼レフ」の一択なのでしょうか?

海老原

初期はそうでしたが、近年は、撮影方法もバリエーションが増えてきました。かつてはずっと一眼レフを使っていましたが、現在はスマホで手軽に撮れる写真にも魅力を感じています。自分のなかで「すごく撮りたい!」という写真はしっかりセッティングをして一眼レフ、「撮れる状況だから撮る」というときはスマホ、と使い分けていますね。

以前に比べて、突発的に撮ることが増えた、ということでしょうか。

海老原

はい。例えば、週1で出社したときなどは絶好の機会です。特に、雨の日。ふと立ち止まったタイミングで、雨水が地面で跳ね返る瞬間を写真に収めたり。あるいは、排水パイプからじゃばじゃばと水が流れ落ちている様子を、ビデオモードでスロー撮影したり。あと、これも動画ですが、カフェで飲んでいたコーヒーの水面の気泡が弾ける様子が面白くて撮影しました。

撮影機材が変わると、撮影する機会や場所も変わってくるのですね。

海老原

はい、かなり変わりました。以前は出不精だったこともあり、家で撮影することがほとんどでした。それに、街中でかがみ込んで水を撮っていたりすると、通行人から「あの人、何しているんだろう?」と不審がられることもあって(苦笑)。でも、スマホなら人の目を気にすることなく、撮りたいときにサッと撮ることができます。「一眼レフ+照明」でしっかり撮るときよりきれいに撮るのは難しいですけど、代わりに身近な雰囲気の水を撮れるのが魅力です。

主役は水。「あたり前」の存在が秘める無限の可能性

無色透明である水を、どう「魅せる」のか? さまざまな工夫をされていると思うのですが、先ほど解説いただいた「万年筆用のインクを使う」といったテクニックのように、水に加える「+α」の部分にもこだわっていらっしゃるのでしょうか?

海老原

本当は、水「だけ」で撮りたいという想いがあるんですけどね。やっぱり「水そのものが美しい」という認識があるので、その美しさをまっすぐとらえたい。だから、水の動きを見やすくするために色をつけたりすることはありますが、そのあたりがひとつのボーダーラインで、背景に凝るとか、小物を多用したりするのはあまり好きではありません。「主役は水」が、作品づくりの基本となるマイルールです。

海老原

……とか言いながら、最近はまたちょっと考え方が変わりつつあります。もちろん「水だけ」のストイックな写真は変わらず大好きなのですが、ただ、それだけだと、いわゆる「芸術作品」みたいなくくりでしか鑑賞してもらえないのではないか。それはちょっと自分の望むかたちとは違うな、と思えてきて。


これは、先ほどもお話ししたスマホで撮影するようになって以降、より如実になった心境の変化ですが、「生活のなかにある水」もやはりすてきなんですよね。なので最近はそういう写真を撮るために、家に標準的に備えられているものやお酒のボトルなど、あえて日常生活でよく目にするモノを水と組み合わせて撮影したりしています。

水とキンミヤ焼酎のボトルをかけ合わせたもの。「キンミヤはみなさんよく飲むお酒なので、『生活感』を演出する素材としてもよいかなと思い撮影しました」と海老原さん
最近撮影したという、洗面台で水を手に受けている様子をとらえた動画。「この作品のポイントは、排水溝とか、洗面台の使用上の注意が書かれたステッカーのような、以前だったらマクロレンズを使用することで積極的に消していた要素を意図的に残したこと。撮影場所はぼくの家なので、生活感ありありでちょっと恥ずかしくもあるのですが、いまはこういう作品にも積極的に挑戦してみようと考えています」
海老原

最近だと、ほかにも、流れているトイレの渦巻きを撮ったら面白いんじゃないか、とか考えていまして。トイレの流れって、あらためて注目してみると、すごく激しいじゃないですか。ああいうダイナミックな動きの一瞬を切り取ったら、面白い写真になると思うんです。ただ、場所が場所だけにさすがに引かれてしまうかも……? なんて躊躇したりして(苦笑)。生活感を出しつつも、そのなかでいかにきれいに撮るか、というのが直近の課題です。

「水」を意識したら、至るところに被写体があることに気づいたのですね。

海老原

そうですね。先ほどお話ししたように、スマホで撮影するようになって以降、インドア派のぼくも「外」に気持ちが向くようになってきました。いまは、海の波や渦潮なんかをドローンで真上から撮ったらすごくきれいだろうな、などと新たな野望を膨らませています。水は蛇口をひねれば出てきますし、本当にどこにでもある「あたり前」な存在です。でも、だからこそ無限の可能性を秘めている。撮れば撮るほど、その豊かさに圧倒されています。

自分の作品をもっともっと見てもらいたい。「好き」と「継続」が生んだ自信

水を撮影し続けることで、ご自身の生活や心境に何か変化はありましたか?

海老原

例えば、こんなふうにインタビューをしてもらえたりとか、エンジニアという仕事だけをやっていたら出会えなかった人たちと交流を持てるようになったりとかが、一番大きな変化かもしれません。また、SNSでフォロワーさんたちとするやり取りも、水の写真を撮っていなかったら生まれていなかったでしょうしね。

作品が、コミュニケーションツールにもなっているわけですね。

海老原

はい。ぼくの写真を素材として使わせてほしい、という依頼をSNS経由でいただいたこともありました。水の写真を介して、人との関わりが広がっていくことがとても嬉しいです。

作品への評価が、自信につながっていると感じますか?

海老原

間違いなくあると思います。ぼくはそもそも、あまり自分に自信を持てるタイプじゃなかったんです。でも、ここ何年か、自分の撮った写真をTシャツやパーカーに印刷して販売していまして、それを買って実際に着てくれている人もいるんです。ぼくの作品は外で着ても大丈夫なものなんだ、自分の良いと思っているものは人から見ても良いものなんだ、と思えて自信につながりました。


最近では、作品をもっともっといろいろなかたちで世の中の人に見てもらいたい、という気持ちがより強まってきました。水の写真や映像は汎用性も高いと思うので、CDのジャケ写やPV、広告などにも使ってもらえたら嬉しいな、って。何年も続けてきたなかで、自分にしか撮れない写真を撮れている、そんな自負が生まれてきたのかもしれません。

作品を印刷したプレート
水をプリントしたTシャツなど、さまざまなグッズをつくっている
海老原

また、以前よりも行動力がつきました。例えば、ぼくのすごく好きな写真家に濱田英明さんという方がいるのですが、以前その方の展示会を見に行った際、自分の作品を見てもらいたくて、水の写真を額装して懐に忍ばせて持って行き、実際に見ていただいたことがあります。これも、以前の自分だったら考えられないくらい大胆な行動です。「好きで続けていること」がなかった頃と比べると、性格的にもだいぶ変わったと思います。

自分の「好き」は、他人が知っている? 液体彫刻家流「SNSのススメ」

好きなものや趣味を見つけたいけど見つけられない、といった悩みをときどき耳にすることがあります。そうした悩みを持つ人に、海老原さんならどんな言葉をかけますか。

海老原

思えば、ぼくも以前は「好きなものがない人」だったんですよ。漫画とか映画とか音楽は好きでしたけど、まあ「人並みに好き」くらいだしな、って。


アドバイスというほどのものではありませんが、ぼくは、自分の好きなものは、自分じゃなくてむしろ人が見つけてくれるものなのかもしれない、と思っているフシがあって。それこそぼくの水の写真みたいに、「好きなこと」は知らず知らずのうちに継続してしまっているものなので、意外と自分では「好き」と認識できなかったりする可能性もあるんじゃないか、と。

人に気づいてもらうには、気づいてもらうための「きっかけ」や「場所」が必要ですよね。

海老原

はい。だから、SNSなどに、自分の日常生活のなかの「あたり前」を淡々と投稿し続けることをオススメしたいです。例えば、週1で映画を見るのが習慣になっている人だったら、行った映画のタイトルと感想を毎週必ず投稿し続けてみる。あるいは、「これから『○○』を見ます」という報告ツイートでもいいでしょう。


その人は、映画を見るのは楽しいけど、世の中にはもっともっとたくさん見ている人がいるわけで、自分は「普通」だと思っているかもしれません。でも、それを見た友人やフォロワーさんたちが「めっちゃ映画見に行ってるね」「映画好きなんだね」と言ってくれたりして、しかもそれが1人からじゃなく、3人、4人といたのなら、「そうか、自分は映画が好きなんだ」と認識してしまっていいと思うんですよね。

日々の行為や写真をSNSに投稿し続けていると、そのアーカイブから、投稿者が何に注目しているのか、何に興味があるのかが自ずと見えてくる。その人の「好き」が他者を通して可視化されることもあるかもしれない、ということでしょうか。

海老原

そうですね。自分ではなかなか気づけないことに気づかせてくれるのが「他者」という存在なので、「あなたは○○が好きなんですね」と言われたら、「別にそんなことないよ」などと思わずに、ちょっと信じてみることも大事なんじゃないでしょうか。あとから振り返ったときに、それが自分の人生を変えた大きな契機だった、ということもあるかもしれませんからね。

PROFILE
川村健一

海老原 和輝(えびはら かずき)

液体彫刻家

1992年、茨城県生まれ東京都在住。水の写真の美しさに惹かれエンジニア業のかたわら、水の一瞬を切り取った「液体彫刻」という作品を7年間つくり続けている。


Twitter:https://twitter.com/ebi_kzk_water

Instagram:https://www.instagram.com/ebi_kzk_water/

ウェブサイト:https://lit.link/ebikzkwater

CREDIT

ライター:辻本力 撮影:タケシタトモヒロ 編集:服部桃子(CINRA,inc)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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