モノの先にいるつくり手を想う。豆腐マイスター・くどうしおりさんに聞く、「本当の好き」との出会い方
となりの偏愛LIFE

モノの先にいるつくり手を想う。豆腐マイスター・くどうしおりさんに聞く、「本当の好き」との出会い方

#アイデア・工夫 #カルチャー #コミュニティ #ライフスタイル #仕事・働き方 #健康的なくらし

日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探求している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第3回のゲストは、お豆腐屋さんのある町を残すために、旅をしながら豆腐の食文化を研究・発信している、くどうしおりさんです。


子ども時代の偏食の末、「逃げ場」としてたどり着いた豆腐が偏愛対象へと変わり、ついには「仕事」へとなっていくまでの物語。豆腐の魅力、そして、その先にあった「人」への強い興味関心——自分だけの「好き」を深めるためのヒントがたくさん詰まったお話です。

白いご飯が苦手だった。「逃げ場」としての豆腐が「好き」に転じるまで

― まずは、くどうさんの「豆腐」との出会いについて教えてください。
くどう

小学校1、2年生の頃に遡ります。当時、私は偏食がひどかったのですが、特に苦手だったのが白いご飯で……。

豆腐マイスター・くどうしおりさん

―主食が嫌いとは、なかなか大変ですね。

くどう
そうなんですよ。そんなときに「これなら食べられる」と思えたのが豆腐だったんです。いまは「体にいいから」「ヘルシーだから」みたいな、健康上の理由から豆腐を選ぶという話をよく聞きますが、私の場合は、さながら「逃げ場」で。
ということは、豆腐は、もともと身近な食べ物としてあったわけですね。
くどう

はい。その頃、ちょうどメタボリックシンドロームが話題になっていて、父親が自分の体のことを気にし始めたというのも大きかったと思います。少しでもヘルシーなものを、という意識から、早起きだった父は毎朝近所にあるお豆腐屋さんに出かけていき、私が目覚める前にお豆腐や豆乳、おからなどを買って帰るのが習慣になって。


家の冷蔵庫を開ければつねに大豆製品があったので、私は、お米代わりに豆腐を食べたり、飲めない牛乳の代わりに豆乳を飲んだりしていました。お弁当にも、おからを入れてもらったり。そうして、私の「豆腐生活」は始まりました。

―「豆腐なら食べられる」という、いわば消去法的に選んでいた豆腐が、積極的な「好き」に転じたのはいつ頃だったのですか。

くどう

「大豆の味が好きだ」という自覚を、小学校3、4年生くらいには持っていたように思います。豆腐は私にとって主食代わりといっても過言ではないくらいのポジションになっていましたし、ひどい偏食だけど、大豆でできた食品があれば、とりあえず生きてはいけるだろうという確信めいたものを感じていて。それがある意味、心のよりどころになっていた気がします。


それから成長するに従って、私の豆腐愛はどんどん大きくなっていき、中学の頃には、将来は大豆に関わる仕事がしたいという夢を持つほどになっていました。「大豆に育ててもらった」という感謝の念もあり、何か恩返しができれば、という気持ちだったのかもしれません。

古今東西の豆腐にまつわる文献やレシピ本を集めているくどうさん

「日本では、田楽や湯豆腐のように豆腐の原型を留めたまま調理することや、白和えのように豆腐そのものの味を味わう料理が主流です。でも海外のレシピ本を見てみると、豆腐を素揚げして麺のトッピングにしたり、キッシュにしてみたり、スイーツにしたりと、発想の自由さに驚かされました」と語る

豆腐は相手を選ばない。生涯を通してつき合える「パートナー」としての魅力

「美味しい」のはもちろんとして、あらためて、くどうさんにとっての豆腐、並びに大豆製品の魅力とはどのようなところにあるのでしょうか。

くどう

相手を選ばない、というのが最大の魅力だと思います。つまり、食べ合わせを選ばない、ということですね。どんな料理にも合うし、どんな味つけをも受け入れてしまう懐の深さがある。これは別に私が発見したことではなくて、明治生まれの俳人・荻原井泉水が「豆腐」という随筆で言っていることなんですけど。

―だからこそ、くどうさんにとって主食代わりになり得たのでしょうね。

くどう

そうですね。それから「相手を選ばない」というのは、「食べる人を選ばない」ということでもあります。これは大人になってから特に実感したことですが、豆腐は生涯を通じて食べられる食品なんですよね。


赤ちゃんが安心して口にできるので、離乳食にもぴったりです。また、数年前に祖母の介護をしていた時期があったのですが、やはり年を取ると、食も細くなれば、咀嚼が難しくなってきたりもします。そんなときに、柔らかくて飲み込みやすい豆腐は、重要なタンパク源になります。生涯を通して長くつき合えるというのも、お豆腐の大きな魅力なのではないでしょうか。

くどうさんの自著『まいにち豆腐レシピ』(池田書店)。

その名のとおり毎日食べられる豆腐のレシピが多数掲載されている

くどうさんは、日本全国のさまざまな豆腐を食べられていると思うのですが、美味しい豆腐を見つけるための独自の方法や、情報収集の手段などがあれば教えてください。

くどう

基本的に「人づて」です。例えば、私は東京都豊島区にある立教大学に進学したのですが、あのへんは昔ながらのお豆腐屋さんがたくさん残っているエリアなんです。当時は、学校に近い一軒のお店を特に贔屓にしていて、授業の空き時間や休み時間にうかがっては、コップに豆乳入れてもらったり、菓子パン代わりにがんもどきを食べたりしていました。その際に、店主さんと立ち話をするのも大きな楽しみになって。「あそこの豆腐屋さんにも行ってみたら」とアドバイスしてもらったりしながら、徐々にお店を開拓していきました。


こうしたスタイルはいまも変わっていません。お豆腐関係のイベントで知り合った方に紹介してもらったり、縁のできた大豆問屋さんに勧めてもらったり。特に問屋さんは、いろいろなお豆腐屋さんに大豆を卸しているので、情報網がすごいんですよ。なので、飛び込みでいきなり「取材させてください!」みたいな感じではなくて、お豆腐を介してのつながりや偶然が重なった結果知己を得る、といったパターンが多いですね。で、気づいたらお豆腐屋さんの忘年会にまで参加していた、みたいな(笑)。

豆腐文化啓蒙活動のために大学院を中退。好きが高じて豆腐が「仕事」に

深い豆腐愛ゆえに取ってしまった、ご自身でも驚くような行動やエピソードはありますか?

くどう

豆腐を広める活動をしているうちに、気づいたら大学院をやめていたことでしょうか(苦笑)。退学届けの「やめる理由」の欄には、実際に「豆腐文化啓蒙活動のため」と書いて提出しました。


それから、クリスマスに豆腐屋さんを応援するために始めた「ホワイトクリスマス」という企画です。クリスマスって、1年のうちで、もっとも豆腐が売れない時期だとお店の人に聞いたんです。そんな状況をどうにかしたいと思い、Facebookで友だちに「クリスマスにお豆腐を食べたい人がいたら、私が美味しいものを代わりに購入して送るので、連絡をください」と呼びかけました。つまり、美味しいお豆腐の詰め合わせセットをつくって、送っていたわけです。


お豆腐屋さん10軒くらいに声をかけ、自慢のお豆腐を送ってもらい、12月23日くらいから、ひたすら箱に詰めてクール便で発送し、ご近所の方には電車に乗って届けに行きました。お豆腐は日持ちしないので、届くのも直前だし、一気に発送しなければならないのでけっこう大変でした。この活動は友人にサポートしてもらいながら、4年ほど継続しました。

学生の趣味の活動の域を超えていますね。やっていることだけを見れば、普通に商売というか、仕事です。

くどう

最初はお遊び感覚だったのですが、一度やったら「来年もやるんだよね?」みたいになって、以降だんだんと買ってくれる人も増えていきました。ただ、実質的にやっていたことは代金の立て替え、いわゆる共同購入みたいなものなので、友人知人限定で、不特定多数には売れません。だから、これをもっと広げていくには、もうちょっとやり方を考えなければならないなと。


そうして、豆腐に関する私の活動を「学生が遊びでやっている」ではなく「仕事です」とちゃんと答えられるようにしたい、という気持ちがだんだん大きくなっていきました。

大学院をやめる際、「卒業旅行」と称してヨーロッパへの1人旅を敢行したくどうさんは、オーストリアやパリのナチュラル志向の食材店に並ぶ、多彩な豆腐(大豆)製品に圧倒されたそう。「フレーバーがついていたり、ハーブやスパイスが入っていたりする豆腐もたくさんあって、それをカットしてサラダにのせて食べるんですよ。チーズや、いまならサラダチキン的な感覚ですね。豆腐の新たな可能性を感じました」と語る

対話のなかで生まれた「お豆腐屋さんのためにできることをしたい」という感情

くどうさんのお仕事を拝見していると、豆腐のみならず、その背景にいるつくり手や、土地ごとの特色などへの強い関心が伝わってきます。豆腐を、いわば「文化」としてとらえているところに独自性を感じます。

くどう

ありがとうございます。そういう意味では、私は、いわゆる「マニア」というのとは、ちょっと違うのかもしれませんね。よくお仕事で「お豆腐屋さん紹介してください」と言われるんですけど、私は日本全国すべてのお豆腐を食べたことがあるわけではないですし、紹介するお店も偏っています。店主さんの人となりをよく知っている、いわばご縁のあるお店を紹介することがほとんどで。


そして、そうした在り方は、お豆腐屋さんに通うなかで、ポジティブ、ネガティブ問わず、いろいろなお話を聞いてきたがゆえなのだと思います。


美味しい豆腐をつくるためにどれほどの労力をかけているのか。豆腐をつくって売ることが、どれほど困難を伴う仕事であるのか——そうしたお豆腐屋さんのリアルや本音を、日々の何気ない立ち話を通してだんだん知るようになっていきました。一口に豆腐といっても、お店によって使う大豆も違えば、つくり方も異なります。ゆえに、お豆腐屋さん一軒一軒ごとに、ぜんぜん違う話を聞くことができる。その面白さも、私の豆腐愛を膨らませているように思います。

困難といえば、くどうさんは、お豆腐屋さん減少問題などにも言及されています。年間500軒ものお店が廃業しているとか。そうした大好きな豆腐業界が抱えている問題を解決したい、という気持ちもモチベーションになっているのでしょうか。

くどう

それは間違いないですね。いま、年間100軒ほど新しい豆腐屋さんが生まれていたり、ヘルシーフードやSDGsの観点で世界的に豆腐が注目されていたりするという状況もあるのですが、しばらく廃業の勢いは止まらないと思います。


お豆腐屋さんはハードワークです。しかも、豆腐は単価を極端に上げることが難しい商品。なおかつ、後継者問題から技術の継承が難しくなっている現実もあります。お店がなくなるのは寂しいですが、「もう無理!」となってしまったお店の人を責めることは、私にはできません。私は、お豆腐屋さんを応援したいと日々活動していますが、やめたいという人を止めるような力はありません。でも、なんとか続けようと方法を模索している方に協力することはできる。


お豆腐のイベントを開催することもそうですし、お豆腐屋さんを取材して記事を書くことも、あるいは「こういう豆腐を使いたい」と思っているレストランの方とお豆腐屋さんをつないで、お取引のきっかけをつくることも。そうした地道な活動の積み重ねで、新たにお店をやってみようという人が生まれたり、既存のお店が数年、10年、20年と続くきっかけの一つになったりしたら、これ以上に嬉しいことはありません。


当日、香川県丸亀市の「一豆瞠(いっとうどう)」の豆腐・油揚げ・豆乳と、和歌山県田辺市の「龍神地釜とうふ工房るあん」のざる豆腐・木綿豆腐を持ってきてくれたくどうさん。「お豆腐は買ってきてから20~30分程度常温に戻して食べてみるのがおすすめです。寒い時期なら、耐熱皿にのせてラップをし、30秒くらいレンジにかけるのもいいですね。常温で食べると、豆の甘さも際立って、豆腐の個性もよくわかります。そうするとオーソドックスな食べ方だけじゃなく、『こんな味なら、わさびと塩で食べてみようかな』など、味わい方のバリエーションも広がっていきますよ」と教えてくれた

「人」を通して「好き」を見つける。自分だけの「偏愛」を深めるために

好きなものや趣味を見つけたいけど見つけられない、といった悩みをときどき耳にすることがあります。そうした悩みを持つ人に、くどうさんならどんな言葉をかけますか。

くどう

あくまで自分が思うことであって、答えになっているかわかりませんが、豆腐というものが好きというだけでしたら、いまのような発信などの活動はせず、個人的な趣味で終わらせていたと思います。そこから考えるに、私は豆腐自体ももちろん大好きですが、究極的には「豆腐をつくる人たち」を好きになったのかもしれません。


その結果、この人たちと一緒に何かやりたい、この人たちのつくるものを世に広めて、みんなと美味しさを共有したい、と考えるようになった。ですから、「好き」を見つけるきっかけとして、「好きな人」を見つける、というのもいいのかもしれないですね。


もし私が人への興味がなく、豆腐というモノだけに関心が全部向いていたとしたら、いまとはまったく違う活動をしていたと思います。例えば、片っ端から日本中の豆腐を取り寄せて、ひたすら写真を撮ってSNSアップする、みたいな。いわゆる「制覇する」みたいな感覚ですね。でも、それだけだとちょっと寂しいし、少なくとも私のやりたいことではないな、と。

「マニア」と呼ばれる人には、そういうイメージもたしかにあります。

くどう

で、好きなものを探している人は、結構そこで心が折れている印象があります。例えば、「これ面白そう!」と思ってネットで検索してみると、大抵のものにはすでに「マニア」がいるんですよね。この人、あの有名なテレビ番組にも出てる、もうこのジャンルは無理だ、みたいに。

それで、「いまさら自分が参入する余地はないな……」となってしまう、と。

くどう

モノ中心にしてしまうと、ライバルに嫉妬するような感情が芽生えて、純粋に「好き」でいられなくなってしまう場合もある。でも、そのモノをつくる「人」に関心が持てれば、その人と自分との関係性のなかで「好き」を深めていけます。その関係性は、自分だけのもの。そういうふうに考えたほうが自分に自信を持てますし、人生も豊かなものになると私は信じています。

PROFILE
川村健一

くどう しおり

豆腐マイスター

1990年、群馬県生まれ。「往来(おうらい)」を屋号に、日本各地の豆腐のつくり手を訪問取材・撮影し、コラム執筆・イベント企画・メディア出演などを通じて、豆腐の食文化の啓蒙・発信活動を行なっている。


https://www.shiorikudo.com/

CREDIT

ライター:辻本力 撮影:タケシタトモヒロ 編集:井戸沼紀美、服部桃子(CINRA.Inc,)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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