座った瞬間、恋していることに気が付いた。古いマッサージチェアの思い出|ジャルジャル・福徳秀介さん
千座万考

座った瞬間、恋していることに気が付いた。古いマッサージチェアの思い出|ジャルジャル・福徳秀介さん

#ライフスタイル

仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。


第10回の寄稿者は、お笑い芸人・ジャルジャルの福徳秀介さんです。実家にある一台のマッサージチェアをめぐる思い出と、座った瞬間に自覚したある恋心について、瑞々しい言葉で綴っていただきました。 

父が買って帰ってきたマッサージチェア

実家に、一台のマッサージチェアがある。


32年前からある年季たっぷりのマッサージチェア。レトロな銭湯にありそうな、背もたれのローラーが2つ飛び出したマッサージチェアではない。見た目は令和のマッサージチェアより圧倒的に古い。しかしレトロな味わいはなく、〈中途半端に古い品〉という意味で〈中古品〉なマッサージチェア。本当の意味で「レトロ」になるまでは、もう10年くらいかかりそうだ。


そんなマッサージチェアは、僕が小学4年生のある日、父が突然買って帰ってきたもの。母が「そんなんいらんのちゃう?」と言ったのを覚えている。


リビングに突如として現れたマッサージチェア。リモコン操作でリクライニングを倒したり起こしたりできる。それが子供ながらにとてつもなく楽しかったし、カッコよかった。両親が使っていないときは、僕と兄の遊び場だった。リクライニングを最大まで倒して、戦闘機ごっこをした。42歳になった今となっては、「これのどこが戦闘機? どっちが進行方向?」と思うが、あの頃は、戦闘機に乗って操縦しているイメージがしっかりとできていた。


このような童心は小学6年生くらいには薄れて、いつしか、マッサージチェアで遊ぶことはなくなった。背もたれに内蔵されているローラーが邪魔で、普通の椅子としても使えない。当然、マッサージが必要な年齢でもない。僕がそこに座ることはなくなった。兄も同様に。そして、当時のマッサージチェアの低いポテンシャルのせいか、母も利用しなくなった。コリをほぐすというよりも、背中を伸ばすためだけのチェアにも思える。


そのマッサージチェアを利用するのは、父だけになった。リビングの端っこにいつもあるマッサージチェア。いつの間にか、そこにすっかり馴染んでいた。「ヴィィィィィン」という音を響かせるマッサージチェアに座り、背中が伸びて「うぅーーーん」と唸る父。「ヴィィィィィン」と「うぅーーーん」はセット。これが当たり前となった。

​​​​​

実家のマッサージチェア​​

そんな当たり前は、当たり前ではなくなった。

高校1年生の秋に、父が死んだのだ。あっさりと。


リビングにあるマッサージチェアに座る父の姿はなくなった。そもそも父という存在がなくなったのだから、当然か。「ヴィィィィィン」と「うぅーーーん」はもう聞けない。そりゃ、マッサージチェアを操作すれば、「ヴィィィィィン」という音は聞ける。けれども、その後に「うぅーーーん」という父の唸り声が聞こえなくなったら、なんだかすごく寂しくなるし、泣きそうになった。やっぱり「ヴィィィィィン」と「うぅーーーん」はセット。


もう、マッサージチェアに座る人はいなかった。マッサージされたい人がいないからというよりも、父を思い出すことが悲しくて、寂しくて、自然とマッサージチェアから遠ざかっていたような気がする。


リビングの端っこにあったマッサージチェアは、さらに端っこに移動していた。マッサージチェアには誰も座らない。でも、捨てる勇気は家族にはなかった。父から一番連想されるモノがマッサージチェア、というわけではなかったにもかかわらず。 

マッサージチェアは愛犬・ラブの特等席に

あっという間に、2年間も放置されたマッサージチェア。そんなとき、いよいよ転機が訪れた。


我が家に犬がやってきた。犬種はラブラドールレトリーバー、名前はラブ。子犬だったラブはマッサージチェアの下にある、わずかな隙間のスペースを好んだ。ラブはいつもそこでぐっすりと寝ていた。


しかし、大型犬の成長の早さを侮ってはいけない。我が家にやってきてから、ほんの1ヶ月でラブはマッサージチェアの下のスペースに入れなくなった。そして、ラブの妥協策だったのか、はたまた、そこがよりよい場所だと思ったのか、マッサージチェアの上に乗ったのだ。そして、丸まってすっぽりとハマり寝たのだ。猫みたいに丸まって寝る大型犬は格別に可愛かった。どうやらラブにとったらマッサージチェアの上は、どこよりもよい場所で、最高の具合だったようだ。マッサージ機能を作動させることはないにせよ、マッサージチェアに再びスポットライトが当たった。


​​このマッサージチェアは父の場所から、あっという間にラブの場所になった。ラブの特等席のマッサージチェア。デカいラブが、マッサージチェアに猫みたいに丸まって寝ている姿は、当たり前の光景となった。​​​​​​

我が家にやってきたラブ​​

座って気づいた、ある気持ち

しかし、当たり前はやっぱり当たり前ではなくなる。


ラブが死んだ。11歳と3ヶ月。とにかく可愛かった。およそ11年間の一生を「とにかく可愛かった」だけで総括するのは正しくないのかもしれないが、ふさわしい言葉だと僕は思う。だって可愛かったんだもの。


再び、誰もマッサージチェアに座らなくなった。このとき僕はもう実家を出ていたが、たまに帰ると、やっぱりマッサージチェアはリビングにあった。マッサージチェアにはまだラブの毛がついていた。マッサージチェアだけではなく、家のあちらこちらにラブの毛は残っていた。


実家に帰ると、僕を走って迎えてくれるラブはもういなかった。猛烈な寂しさに襲われた。


この頃、僕は、とある女性と出会った。その女性はちょっとだけ猫背だった。僕は一度も彼女に猫背を指摘したことはなかった。背筋をピーンとすることを常に意識しさえすれば、あっという間に治りそうな猫背。でも、猫背のことは言わない方が正しいような気がした。付き合ってもいない男に「猫背やな」なんて言われたら、それはただの指摘。一方、恋人に「猫背やな」と言われたら、それはアイラブユーになる。


彼女とは何度も食事に行った。仕事や趣味やラブの話をした。僕たちはただただ友達として仲良くなっていった。食事の誘い以外、連絡を取り合うことはほぼなかった。食事をしたあとはバイバイをして、心の中で「あぁ、なんか楽しかったな」と思うだけ。別れ際、彼女の背中を見送ると、「やっぱり猫背やな」「背筋ピーンを意識すれば治るのに」と思った。それだけ。そんな間柄。


ある日、実家に帰ると、やっぱりラブはいない。どこを探してもラブはいない。マッサージチェアに猫みたいに寝るラブはいない。僕はこのマッサージチェアに思いを馳せ、「座りたい」と思った。


座った。


その瞬間、どういうわけか、猫背の彼女を思い出した。背中を伸ばすマッサージチェアから、猫背の彼女のことを連想したのかもしれない。恋人だったら「猫背やな」と言えるのに。僕は恋人ではない。彼女を実家に呼んで「このマッサージチェア、古いけど背中を伸ばすだけならできるから、やってみたら? 猫背がまっすぐ伸びるかも。犬がよくここで寝てたで。犬と猫やな」と言って、ここに座らせたい。どうやら僕は彼女のことが好きみたいだ。


──座った瞬間、恋していることに気が付く。こんなロマンチックな事態が自分に起きるだなんて。僕は、猫背の彼女が100%好きだ。


早速、彼女を食事に誘った。すんなりとタイミングが合い、数日後に食事に行った。彼女が「パン屋さんのパンをトングで取るのはわかるけど、ビニールに入ってるパンやサンドイッチもトングで取るべきなのかな? あれは手でもいいよね」と言った。僕は「なんとなくトング使っちゃう」と返事をした。


その直後、彼女が「なんかいつもと違くない?」と言ってきた。これを好機だと思い、僕は彼女のことを100%好きなのに、50%しか好きじゃないフリをして、たくさんの曖昧な言葉で、気持ちを伝えた。本当なら「東京タワーのてっぺんからキミを探したくなる」くらいのハッキリとした言葉を伝えたいのに、僕の口から出る言葉は全て曖昧だった。


すると彼女は、「えー、友達でいいんじゃない。そんなのじゃないって」と逡巡する様子は微塵もなく断ってきた。


僕は際立ってショックを受けたわけではなかった。でも、なんだかとても焦った。返事に困った。また、一人で気持ちが舞い上がっていたことに気が付いて笑いそうになった。思わず「うぅーーーん」と声を出しながら身体を伸ばした。マッサージチェアで背中が伸びて唸る父と同じような声。彼女は「いい意味で、ダサいね」と言ってきた。


女性に気持ちを伝えて、あっさり断られ、返事もせずに身体を伸ばした僕。彼女がおっしゃる通り、とてもダサかった。


その後は何もなかったかのように、いつも通り食事をし、解散した。それ以来、彼女とは一度も会っていない。連絡も取っていない。座った瞬間、恋していることに気が付いたこの恋は、呆気なく終わった。僕が彼女のことを好きになったことは2人の間柄においては間違いだったが、僕の人生においては間違いではなかった。 

座る瞬間とは、冷静になれる瞬間

ここまで読んでくれている方は、僕の突然の恋バナに吐き気がしているかもしれない。僕だって、こんな恋バナを誰かに聞かせたい、なんて思ったことはなかった。しかしこのエッセイのテーマである「すわる」という言葉を聞いて、即座に思い出したのが、この恋だった。ならば、書くことはコレしかない。座った瞬間に誰かを好き、と思えたことはいい経験だった。


座る瞬間は、一番冷静になれる瞬間なのかもしれない。例えば、座った瞬間、自分の肉体が疲れていたことに気が付く、というのはよくあることだ。世にある数多の映画、ドラマ、CMのせいだろうか。「夢に向かって!」みたいな何かに突き進むときの決意を表すセリフは、立ちながら発せられるのがお決まりだ。


でも実際は、座った瞬間にふと感じることが、本当の自分の声のような気がする。決して、今、僕は自分の恋バナを書いてしまった過ちを償うために哲学的なことをほざいているわけではない。僕なりの本心だ。


どうか、座った瞬間に自分と対面してみてください。自分の本心がわかるかも。


ところでマッサージチェアは現在、愛犬ラフの定位置だ。ラブの次はラフ。ラブもラフも本当に可愛い。愛と笑いに揉みほぐされてます。 

マッサージチェアに乗るラフ​​​​​

PROFILE

福徳秀介

お笑い芸人

1983年、兵庫県生まれ。2003年、後藤淳平とお笑いコンビ「ジャルジャル」を結成。2020年にキングオブコントで優勝。公式YouTubeチャンネル「ジャルジャルタワー」に毎日ネタをアップ。作家として活動しており、著書に『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』『しっぽの殻破り』『耳たぷ』(いずれも小学館)などがある。 

CREDIT

執筆・写真提供:福徳秀介 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

商品名が入ります商品名が入ります

★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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