親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
仕事、趣味、時には休憩やリラックス。ライフスタイルによって、「すわる」のシチュエーションや、その先に広がる世界はまったく異なるものです。エッセイ連載「千座万考」では、毎回異なる書き手が「すわる」について考えを巡らせ言葉を綴ります。
第9回の寄稿者は、文筆家・絶対に終電を逃さない女さんです。座ることが苦になった20代で出会った3つの椅子、そこから広がる異なる行為について語っていただきました。
座り続けることができなくなった20代前半を救ったもの
とにかく座っている時間の長い子供だった。
3歳の春、買い物に行く母に「留守番する」と宣言して初めて1人で留守番をすることになった際、私を心配した母が一旦家を出てすぐに様子を見に戻ったところ、椅子を窓際に運んで座って外を見ていたので、「どうしたの?」と聞いたら「桜見てるの」と答えたらしい。これは後になって母から聞いた話で、まったく記憶はないが、我ながら何とも風流な幼児である。
4歳くらいの頃には、父と2人でマクドナルドに行った際、食べ終わったあと新聞を読むのに夢中になって時間を忘れていた父を、1時間ほど黙って待ち続けていたこともある。これは朧げながらも記憶があり、まだ帰らないのかな? と思いつつも何も言わず、じっと座り続けることを苦痛に感じることもなく、ただ考え事をしながら待っていたのだ。父も父でどうかと思うが、我が家で語り継がれる私の逸話となっている。
運動が嫌いで、お絵描きや工作、ゲーム、勉強が好きだったので、とにかく座って過ごしていた。祖父母の家の庭で従兄弟たちがはしゃいでいる時も、大人たちに混ざってコタツでお茶を飲んでいた。
学校でも友達が少なかったこともあり、休み時間は基本的に自分の席に座っていた。だいたい読書か勉強をして、読む本も話し相手もなく暇な時は無駄に机の中を整理したり、何かを探すフリをしたりしてやり過ごした。
とにかくじっと座り続けることが苦にならない子供だったが、大人になってから座り続けることができなくなった。
2〜3時間座っていると腰や背中が痛くなり、痛みが取れるまで1〜2日かかる。仕事をしていても、飲み会でも、友達とのお茶でも、同様に身体がバキバキになる。整骨院に通っても、毎日湯船に浸かっても、焼け石に水。おまけに硬い椅子に座るとすぐに痔になる。
そんな調子で20代前半を過ごし、転機が訪れたのは25歳。自宅で高級オフィスチェアを使っていた当時の恋人が、在宅ワークで集中するには良い椅子に座るべし、と中古で高級オフィスチェアを買うことを勧めてくれたのをきっかけに、中古オフィス家具専門店を訪れた。ちょうど2020年末のコロナ禍でオフィスを手放した企業の椅子が多く売りに出されていたようだった。
そこで3万円で購入したのが、オカムラのコンテッサである。
確か2004年製のもので、アームレストの劣化が激しかった。買ってもすぐに壊れてしまうのではないかという懸念もあったが、腰と尻と頭がすぐに痛くなる身体では十分に働けないせいで、お金がなかった。アームレストはメルカリでもう少し状態の良いものを数千円で買って取り替えた。
安物の折りたたみ椅子や図書館の椅子、はたまたベッドの上などでノートパソコンと向き合っていた以前と比べ、やはり腰や背中が疲れにくくなった。
家の椅子が一番良いと思えて、外で仕事をする必要がなくなり、お金も時間も節約できた。横になっているよりも身体が楽なので、「は〜〜仕事したくね〜〜」とベッドでゴロゴロしているだけの無駄な時間も減った。
ああ、座っていられるって幸せだ。子供の頃は当たり前のように毎日硬い椅子に座り続けても、何の痛みも違和感もなかった。あれは幸せなことだったのだ。
しかし、座ることにまつわる問題のすべてが解決されたわけではなかった。
マシにはなったものの、腰はまだ痛かった。コンテッサに座っていれば痛みは少ないが、飲食店などの椅子や座敷に座っていると決まって2時間程度で腰が痛みだし、翌日まで尾を引く。
それを解決したのは、大腿四頭筋の筋トレである。
26歳にして大腿四頭筋が弱すぎて膝を痛め、27歳から鍛え始めた。椅子に座った状態で、片足ずつ膝下を上げる。膝のために始めたが、腰回りも鍛えられるおかげで、腰痛がほぼなくなったのだ。
コンテッサならもちろん、たまにそれ以外の硬い椅子や床に数時間座っても、痛くならない。
座るためには、筋肉が要るのだ。なるべく長く、なるべくいろんな椅子に座るためにも、私は筋トレを続けている。
コンテッサを買ってからちょうど5年が経つ。高級オフィスチェアを勧めてくれた恋人とは別れ、コンテッサとはパートナーとも言うべき関係を築いてきた。
仕事はもちろん、食事をする時もコンテッサ。風呂上がりのスキンケアもコンテッサ。来客があっても私が座るのはコンテッサ。

ちなみにこのコンテッサは、公式の寿命はとっくに過ぎているし、それなりに劣化はしているかもしれないが、これだけ酷使しても未だに壊れる気配はない。
なお、これはPR記事ではない。そもそもオカムラの製品に言及する必要すらない企画である。ただ、「すわる」というテーマにおいて、PRじみたことを書いてしまうほどに、私とコンテッサは切っても切れない関係にあるということなのだ。
個性があるから愛することができる
そんな私が唯一、毎日自宅でコンテッサ以外の椅子に座る時間がある。前述の、大腿四頭筋を鍛える時間である。脚を上げる時にオフィスチェアだと不安定になるため、座面が平らな硬めの椅子のほうがやりやすく、ずっと安物の折りたたみ椅子でやっていた。
インテリアとしてもう少し良い椅子が欲しいと思い続けていたところ、先日とあるリサイクルショップで、心惹かれる椅子を2脚見つけた。
1つは喫茶店でよく見かけるようなヨーロッパアンティーク調の木製椅子。もう1つは、大きな台形の座面に、便座みたいな形の背もたれがついた椅子。何だこれは……? 座面の右側の木目がゼブラ柄のようにも見え、持ち上げてみるとかなり重い。
前者のような椅子が欲しいとイメージしていたけれど、和室により合いそうなのは後者かな? でも部屋のバランス抜きで見ると前者のほうが僅差で可愛いかも……。
などと迷った末に、後者に決めた。前者はぱっと見可愛いけれどよくある感じで個性がない。個性のないものは愛せない。私は愛せる物に囲まれて生きたい。比べているうちにそう気づいたからだ。
部屋に置いてみると思った以上に可愛くて、やっぱりこっちを選んで良かったと心から思った。生活しながらふと目に入った瞬間にも、可愛いと思う。生活の潤いってこういうことだ。

ちなみにキッチンには、同じリサイクルショップで買った折りたたみ椅子を置いている。白地に紫と青のカラーリングが可愛く、水色を中心にコーディネートしているキッチンに合うのが決め手だった。
用途としては料理の待ち時間に少し腰掛けたり荷物を一時的に置いたりするだけなので機能性は求めていなかったが、意外と座り心地が良く、たまに煮込み料理などをしながら座って読書をしている。

椅子は人間に最も近い家具
先日、渋谷ヒカリエで開催されていた「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 至高のクラフツマンシップ」を見に行った。椅子の巨匠と称されるデンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーの回顧展である。
その終盤に展示されていたウェグナーの椅子に関する言葉の数々に、こんなものがあった。
「椅子は人間に最も近い家具です。そこに個性を与えることができます」
言われてみれば、私にとって最も近い家具といえば椅子である。図らずも私はそこに個性を与えた。椅子とは、最も身体に近く、それゆえ最も愛すべき家具なのかもしれない。
そして私にとっては、最も身体に近いゆえに、最も身体の健康にかかわる家具でもある。健康と愛、どちらも大切にしながら、すわっていきたい。
絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ。文筆家。エッセイ、小説、短歌などを執筆。単著に『シティガール未満』(柏書房、2023年)、『虚弱に生きる』(扶桑社、2025年)、共著に『つくって食べる日々の話』(Pヴァイン、2025年)。
執筆・写真提供:絶対に終電を逃さない女 編集:桒田萌(ノオト)
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