親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
仕事や趣味などに気兼ねなく取り組むことができるその人だけの空間、ワークスペース。その人の考え方や行動様式が、色濃く反映される場所でもあります。「ワークスペースの美学」は、自分自身の心地よいライフスタイルを実践している方にご登場いただき、そこに至った経緯や魅力、結果として得られたものなどについて伺うインタビュー連載です。
14回目のゲストは、経営学者の楠木建さん。長年にわたり競争戦略論を研究し、代表作『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)は経営書としては異例の30万部を超えるベストセラーに。アカデミックな研究をビジネスの現場とつなげてわかりやすく語るそのスタイルは、多くのビジネスパーソンに影響を与えています。
今回訪ねたのは、建て替えを終えたばかりの軽井沢の別荘。読むこと、書くこと、考えることに集中できる拠点は、楠木さんの思考を支える大切な場所です。軽井沢での日常や、ワークスペースに込めた思いについて伺いました。
緑と静けさに包まれた、軽井沢でのもうひとつの暮らし
—緑が美しく映える、素敵な別荘ですね。軽井沢では普段どんなふうに過ごしているのでしょう。
過ごし方は東京にいるときとほとんど変わりません。朝5時半ごろに起きて、7時前にはパソコンの前に座って、読む・書く・考えるといった仕事を始めます。夕方には仕事を切り上げて、夜9時半には寝る生活です。
違うのは、東京だとどうしても外に出向く仕事が入ってくること。軽井沢ではそれがない分、じっくり「読む・書く・考える」に集中できるのが大きな違いですね。

経営学者の楠木建さん
—軽井沢と東京はどのくらいの頻度で行き来を?
夏の間は軽井沢に長期滞在していることが多いですね。東京へは新幹線で1時間と少しなので、用事があればすぐ戻れます。年間50日以上は軽井沢で過ごしているでしょうか。
東京の仕事がもう少し落ち着いたら、軽井沢にいる時間を増やしたい。最終的には軽井沢が生活の中心になっていけたらいいな、とイメージしています。
—こちらの別荘は今年、平屋に建て替えたそうですね。
はい、もともと2階建ての別荘だったのですが、いずれ平屋にしたいと考えていたんです。ある機会があって建て替えることにして、今の形になりました。
平屋がいちばんシンプルだと思うんですよね。部屋数も少なくコンパクトで、自分の書斎兼寝室、妻の部屋、そしてリビングという2LDKの間取りです。
—軽井沢は幼少期から馴染みのあるまちだとか。どんなところが魅力だと感じますか。
東京より涼しいのはもちろんのこと、僕はそれ以上に“匂い”が好きなんです。
このあたりは森が深く、湿った森の匂いに落ち着きを感じます。祖父が軽井沢に別荘を持っていたため、子どもの頃からこの町に通ってきましたが、匂いが体に馴染む感覚があって。空気や酸素の具合とでも言うのでしょうか、とにかく心が落ち着きます。

窓の外には深い緑が広がり、やってくる鳥の餌箱も置いている
思想に惹かれて選ぶ、ミッドセンチュリー家具へのこだわり
—書斎兼寝室のワークスペースについても教えてください。すっきりとまとまっていて、とても落ち着いた空間ですね。家具のセレクトにもこだわりを感じます。

僕はシンプルが好きなんです。例えばジョージ・ネルソンは一番好きなデザイナーで、この机も長く使っています。「スワッグ・レッグ」と呼ばれる脚のフォルムが特にスキなんです。
キャビネットはチャールズ&レイ・イームズ製で、工業製品らしさがありながら無駄がなく、すっきりとしたデザインがいいですね。

机の脚は曲線が特徴的
—好きなデザインには、どんな共通点を感じていらっしゃいますか。
ミッドセンチュリーの家具全般が好みですね。1940〜60年代にアメリカを中心に広まったデザインで、良質なデザインを大量生産で大衆に届けるという、あの時代の思想に惹かれます。気取らず、普通の生活に自然と馴染むのがいい。
—窓からの眺めも最高ですね。
ええ、仕事で目が疲れたときは、このソファに腰かけて外を眺めています。外に向けてソファを置くことで、自然と視線が森に向かう。ほんのひとときでも、いい休憩になるんです。

窓の外に向かって配置されたソファ
細やかな調整が心地いい、20年連れ添ったワークチェア
—楠木さんは、オカムラのワークチェアであるコンテッサの長年のユーザーだとお聞きしています。
そうなんです。もう20年くらい愛用していますね。ショールームで「長く座っても疲れないのはどれですか」と聞いたときに勧められたもので、もとは大学の研究室で使っていたんですが、今は軽井沢に置いています。
長時間座っていても体に負担が少ないし、不満がない。ワークチェアって「ここがすごい!」よりも、「気になるところがない」ことの方が大事な気がします。

—それだけ満足して使い続けてこられたなかで、「ここは特にいいな」と感じる部分はありますか。
肘掛けですね。一番よく使う部分です。文章を書くときと本を読むときで高さを変えたり、休めたいときには肘を預けたり。動作がとてもスムーズで、細かい調整がきくのがいい。
それから趣味でベースを弾いているんですが、演奏するときもコンテッサに座ってやっています。楽譜をパソコンのモニターに映して、それを見ながら弾く感じです。楽器を弾いていると左右の肘の高さが変わるので、右の肘掛けを一番下まで下げて弾いています。

—楠木さんとしては、ワークチェアにこだわるということは、仕事や生活にどんな影響があると思いますか。
ワークチェアって、服でいえば靴みたいなものだと思うんですよ。家具の中でも、ワークチェアは特にクオリティが生活に影響する気がします。僕のように長時間座ることの多い仕事だと、疲れにくさとか腰への負担は、そのまま仕事のしやすさにつながるんですよね。
「何にお金をかけるか」は人それぞれですけど、たとえば机はデザインが気に入ればそれで十分だと個人的に思うんですね。でも、ワークチェアはそうはいかない。機能性が一番大事なので、こだわる価値があるなと思っています。
読んで考え、メモして深めるまでが「読書」
—楠木さんといえば、無類の読書家で書評も数多く書かれています。ご自宅では、どんなふうに本を読まれているのですか。
ソファやベッドに寝転んで読むことが多いですね。愛用しているソファは「アルフレックス」の「マレンコ」。昔から変わらず販売されている定番のソファで、僕にとっては一番のお気に入りです。

—読書の時間はどう確保しているのでしょう。まとまった時間を取るのか、それとも隙間時間に?
僕は仕事で本を読まなければいけないことが多いのですが、自分の中では「仕事以外の楽しみで本を読むこと」を読書と呼んでいます。普段、ゴルフや登山といったレジャーは一切しませんし、テレビも観ないし、飲みに行くことも少ない。その分、仕事以外の時間は自然と読書にあてています。映画や音楽も好きですが、やっぱり一番面白いのは読書ですね。
一方で、仕事に関わる本はまた別です。課題のために問いを立てて、思考を掘り下げるために読むので、こちらは仕事として、仕事の時間に読むようにしています。
—たくさんお読みになる中で、本の整理はどんなルールを持っているのでしょうか。
読んだ本の99%は手元に残しません。読み終えたらすぐに売るか処分する。どうしても残したい一部だけを置いて、あとは手放します。必要になればまた入手すればいい、そんな考え方です。仕事以外の読書だけでも年間300冊ほどになるので、すべて置いていたら溢れてしまう。ハードとしての本を好む愛書家もいますが、僕はそういったタイプではないので、本を並べておくことにあまり興味がないんですよね。
その代わり、読んだ価値があると思った本は必ずメモを取ります。内容だけでなく、自分がそのとき考えたことも書き加える。僕の仕事は突き詰めれば「考えること」、提供しているのは「言語化された思考」です。言語化しないと自分でも理解できないし、人に伝えることもできない。だから、僕にとって読書はメモとセットで完結するイメージですね。

限られた本の中には、もっとも影響を受けたという高峰秀子さんの書籍が多い
自分の“基準”を持てば、暮らしはもっと自由になる
—より良いワークスペースをつくるために、心がけていることはありますか。
あくまで僕自身の好みですが、何でも「素っ気なく」がいいんじゃないかなと思います。自分の本の装丁をお願いするときも「なるべく装飾を抑えてほしい」と伝えるくらい。そうした方が落ち着けるし、平和でいられる気がします。

デスクの上にも物を極力置かない
何より、自分なりの価値基準を持つことですね。大げさに言えば「価値観」。生きていると、「これは自分にとって良い/良くない」という基準が少しずつできてきますよね。それを練り上げて洗練させていくことで、だんだん軸がはっきりしてくる。僕にとっては、それこそが“生きる”ってことなんじゃないかな、と。
基準を決めておけば、オフィスや仕事場だけじゃなく生活全般も、自分の軸で整えられる。それが理想じゃないかなと思います。
—どうやって“自分らしさ”を見つけていけばいいのでしょう。
考えなければ基準は生まれません。自分の考えがなければ、人の考えに流されてしまう。世の中の出来合いの基準に従うだけでは、人の価値観に縛られてしまいます。
自分の基準を持ち、それに従って生きることこそが本来の自由だと思います。人が良いと思うものを持つから幸せなのではなく、自分が良いと思うものを持てるから幸せなんです。だからこそ、自分で考えることが大事だと僕は思います。


楠木建
経営学者。一橋大学PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
ブログ:「楠木建の頭の中」 http://lounge.dmm.com/detail/2069/
取材・執筆:筒木愛美 写真:須田光 編集:桒田萌(ノオト)
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