高知と東京、作家・歌人で会社員。場所と肩書きを往来しながら手にした習慣とは|歌人/作家・岡本真帆さん
わたしと、シゴトと

高知と東京、作家・歌人で会社員。場所と肩書きを往来しながら手にした習慣とは|歌人/作家・岡本真帆さん

#アイデア・工夫 #キャリア #ライフスタイル #仕事・働き方

さまざまな価値観が交錯するこの時代、自分自身の生き方・働き方にどう向き合う? エッセイ連載「わたしと、シゴトと」では、毎回異なる書き手が、リレー形式で言葉をつむぎます。


今回の寄稿者は、歌人・作家の岡本真帆さんです。高知と東京というまったく異なる二拠点、そして作家と会社員という二足の草鞋で過ごしている岡本さん。異なる場所やスタイルで生活を行う中で、ある習慣を身につけたそう。どんな場所でも、たゆまず文章と短歌を生み出し磨き続ける方法とは。

2つの拠点、2つの肩書き

歌人で、会社員。作家で、編集者。自宅は高知にあるけれど、勤務先は渋谷にある。

私のワークスタイルについて、こう説明すると、珍しいからか驚かれることがある。2つの肩書きと、2拠点生活。日々どのように働いているか、話していきたいと思う。


そもそも、「歌人」という言葉にあまり聞きなじみのない方もいるかもしれない。実際、初対面の相手に伝えたとき、きょとんとした顔をされることがある。歌人は、短歌をつくる人のことだ。そう説明すると「ああ、短歌って、あのプレバトの?」と言われたりする。……惜しい。それは俳句だ。短歌と俳句、川柳の違いって、普段から触れていない人にとっては、似ていてややこしいのかもしれない。


短歌は57577の31音でできた、短い詩のことだ。季語はいらない。書店で手に取った歌集をきっかけに、2014年ごろからつくりはじめて、気づけば10年以上、続いていた。仕事の合間や移動中など、ふと思いついたこと、気づいたことをメモして、短歌の形に整えていく。そんな風にコツコツとつく[桒田1] りためてきた歌たち。2022年には第一歌集『水上バス浅草行き』として刊行されて、2024年には第二歌集『あかるい花束』を上梓した。

第一歌集『水上バス浅草行き』


「歌人ってどうやって生計を立てているの?」と聞かれることがある。多くの人が気になるポイントかもしれない。


そもそも私は、歌人は職業というよりもスタンスを指すと思っている。短歌をつくる人、歌を詠む人が、歌人だ。たとえまだ歌集を出していなくても、たった一首しかつくったことがなくても、日常のなかに歌をつくろうとする瞬間を持っている人は、歌人と名乗ってよいと私は思う。


短歌をつくることは必ずしもお金とは結びつかないが、雑誌などの依頼で短歌をつくる場合は原稿料が発生し、また、企業からの依頼で広告として短歌を書き下ろす仕事も近頃は増えてきた。歌集を商業出版していて、重版がかかれば印税が発生する。わたしの歌人としての主な収入は原稿料と印税で、歌人の仕事をきっかけにエッセイや書籍の執筆など、作家としての仕事が少しずつ増えている状況だが、そういった文筆業の不安定な収入だけで生活し続けるのはなかなか厳しいものがある。なので会社勤めをしながら書く仕事もやるという、いわゆる兼業作家の形式を選択している。


会社員の私について話したい。


マンガの編集や作家のマネジメントを行う会社で、編集者として働いている。週5日フルタイム勤務で、始業は10時、終業は19時だ。働き方はコロナ禍を経てフルリモートに切り替わり、現在は顔を合わせる重要性も加味してオンラインとオフラインをバランス良く取り入れたハイブリッドワークのスタイルに落ち着いている。


2022年、職場から離れた土地への移住を認める制度ができ、同僚の何人かが地方移住を選択し始めていたなか、私も高知県四万十市に引っ越しをした。3歳から18歳まで暮らした私のふるさとだ。自分が興味を持つ職業がなかなか地元では見つからないような気がして、子どもの頃から「就職して働くのは県外になるのだろうな」と思っていたのだが、まさかリモートワークという働き方の選択肢が生まれて、仕事を変えなくても地元で暮らせる日が来るなんて思ってもみなかった。東京にいなければならないしがらみは一つもないように思えて、「今なら試せる!」と、思い切って移住に踏み切った。

四万十川にかかる赤鉄橋(四万十川橋)

高知への引っ越しを決意したのが2022年の初夏で、2025年の現在は、東京にも自宅兼仕事場となる部屋を借りている。年に3回は全社員が東京に集まる機会があり、2022年はそれに合わせて友人の自宅に泊まらせてもらったり、ホテルに滞在したりしていたが、歌人・作家としての仕事も増えてきて、その後もっと頻繁に東京にやってくるようになった。高知の自宅はもともと祖父母の住んでいた場所で家賃が発生していないので、「だったら東京にも部屋を借りて、2拠点生活にしよう」と決めたのが2023年の春。今では、自分の予定や作家活動に合わせて東京と高知を1〜2ヶ月おきに行き来しながら、歌人の仕事と会社員の仕事、二つの役割を反復横跳びするみたいに生活している。

健康が全てを支える

2拠点生活と兼業。この生活をしていて、気づいたことがいくつかある。それらについて記しておきたい。


一つ目は、体力、健康がなにより大事だということ。


とにかく健康が全てを支える。それに尽きるなと思った。高知の自宅は、高知県西部にある。諸説あるのだが、この地域は空港からもっとも遠い場所と言われている。たしかに高知県は東西に長い形をしていて、空港のある場所から車で2〜3時間かかってしまう。


東京から高知に移動する場合、飛行機に乗るパターンと、新幹線などの陸路で移動するパターンがある。飛行機自体は1時間20分のフライトだけど、前後の移動や待ち時間、空港からの乗り換えなども含めると、合計7時間くらいかかる。陸路の場合も合計8時間は必要だろうか。


所要時間が短いのは飛行機ルートだけど、案外落ち着いて過ごせる陸路ルートを選ぶようになってきた。7〜8時間の移動は、慣れていてもやはり体力を使う。


拠点同士がもっと近ければ、こんなに長時間での移動にはならないかもしれない。しかしそうでなくとも、環境が頻繁に変わることはいくらかストレスを受けることだと思う。まったく異なる二つの拠点を行き来する場合、その移動だけでも体力や気力がある程度削られることを認識しておくのがいいかもしれない。


また、移動だけではない。パラレルワークを行うためには、自分の時間やエネルギーなど、諸々の配分に気をつけることが大切。どちらか一方で身を削るほど働いて疲れてしまうと、もう一方の仕事に影響が出てしまう。それどころか、翌日以降のコンディションにも響いてくる。会社の仕事と個人の仕事、どちらもいいパフォーマンスで進めていくには、身体と心の健やかさが何より大事だと日々実感している。仕事をやりすぎないこと、引き受けすぎないこと。運動をして体力をつけること。休むことはサボることではなく、必要なエネルギーチャージの時間だと思うこと。などなど、日々試行錯誤しながらやっている。

高知県安芸市の伊尾木洞にて ©Yuhei Okamoto

生活は環境に大きく左右される

こうした生活をする中でもう一つ気づいたのは、環境で生活は変わるということだ。


東京と高知。どちらも慣れ親しんでいる町だとしても、移動直後はいつも新鮮に感じる。移動することで、それぞれの良さも、欠点も、見えてくる。


例えば高知にいるとき、私はほとんど人に会わない。そうなると、衣服を買おうという意欲がまったくわかなくなる。自宅にいるときのおなじみの部屋着と、散歩をするときの靴さえあればそれでいい。むしろ関心は、地元の新鮮な野菜やお魚に向かう。食生活も地産地消を意識した自炊が中心になる。素材がいいので、凝ったことをしなくてもおいしい料理になる。スーパーで買える安いお刺身がご馳走レベルの美味しさなので、それをそのまま食事のメインに据えたりする。


一方東京にいるときは、外出して人と会う機会が増える。そのため身なりに関心が向かい、お金の使い道が微妙に変わってくる。スケジュールに変化が出てきて、カレンダーに登録する予定が多くなるので、食事は時間的制約から外食を選ぶことも増える。高知にいる時はほとんど外食をしないから、ここは大きな違いだ。自炊は東京でも多少するけれど、高知にいたら積極的に買うお刺身は、避けている。


一度、高知の感覚のまま、東京のスーパーでお刺身を買ったことがある。味覚が高知の新鮮なお魚にチューニングされていたので、なんというか……衝撃だった……。たまたま味の悪いものを買ってしまったのかもしれないけれど、それ以来、あまり手は伸びなくなった。その土地にあった選択があることを、身をもって実感した。


また、娯楽も趣味も大きな影響を受ける。東京にいたらいつでも気軽に行ける映画館。高知の映画館は、自宅から100キロ以上離れている高知市のTOHOシネマズとキネマミュージアムが最寄りだ。 汽車と徒歩で片道2時間半、運賃は4500円だ。1本の映画を映画館で観るのに、5時間と9000円もかかってしまう。だから高知にいる期間は、映画を観に行くことが減ってしまうけれど、そのかわり自宅でもできることを楽しんでいる。最近は、ミステリー小説を寝る前にじっくり読むことにハマっている。周りがとても静かなので、読書に集中しやすくていい。

高知の自宅にあるデスク

人は環境に影響を受けながら行動を選択している

2拠点生活で気づいたのは、人は環境に大きな影響を受けて、行動を選択しているということだ。そして、異なる生活を交互に行ううちに、「この行動は自分で選んでいるのか?」「周りに流されていないか?」と考えるようになった。


面倒で億劫になって、本当はやりたいけど断念してしまうこと。とくにやりたいと思っていないのに、惰性でやってしまうこと。身の回りに流されて、なんとなくで決めて行動したり、しなかったりすることが、たくさんあることに気づいたのだ。


流され続けて生きていたら、私の人生は時間切れになってしまうかもしれない。いかに主体的に選択肢を選び取るかを、大事にしたい。


環境に影響を受けるからこそ、影響に左右されない、確かな習慣を持とうと思った。大切なことに時間を使う習慣を。そうやって生まれたのが、始業前の執筆のルーティーンだ。


東京にいても、高知にいても、私は朝8時から10時までの2時間、必ず机に向かう。朝の始業前の時間を確保して、短歌をつくったり、エッセイの原稿を書き進めたりしている。もちろん、体調が良くなかったり、どうしても取りかからなければいけない仕事や予定があったりして、2時間まるまる確保できないこともある。そういうときでも、30分、15分、5分でもいいから、必ず書くことと向き合うようにしている。自分が心から大事にしたいと思うことに、たった数分でも時間を使えている。自分の人生で大事なことに、少しずつでも向き合えている。この実感は、私をとても前向きな気持ちにさせて、自分の日々が明るい方へ向かっていると信じられる土台のようになっている。

書く人が、書ける人になっていく

朝8時、好きな飲み物が入ったマグカップを机に置いて、ノイズキャンセリングヘッドフォンを装着する。Spotifyで歌詞のない音楽をシャッフル再生して、エディタを立ち上げると、徐々に書くモードの自分にシフトしていく。


文章を書くときは、初めから完璧な状態を目指さない。なんども通しで書き直していくうちに、磨かれていく。必ずよくなっていく。


短歌をつくるときもそうだ。短歌は31音で、エッセイよりもずっと短い。短いからこそ、何を言うのか、何を描こうとするのか、素材の勝負でもある。素材を選ぶことと、それを短歌の形に整えること。2つの工程を何度も繰り返す。一つの素材で、5通り以上も描き方を変えることもある。とにかく形にして、それを点検する。そうやって手を動かし続けていると、だんだん「この方向にいい短歌がありそうな気がする」という予感めいたものに触れる。それがうっすら見えてきたら、予感を確信に変えるように、なんどもなんども、短歌を磨く。

東京の自宅にあるデスク

エッセイも短歌も、できあがった瞬間が1番好きだけれど、この、予感を確かさに変えようと一心不乱に原稿と向かっているときの多幸感は、何にも代えがたい。

私のいいところを一つ挙げるとしたら、自分のことを過信していないところだと思う。幼い頃から圧倒的な才能があった……ということはないし、今こうして原稿を書いている最中も、普通で、ありふれているなあ、と思う。自分は文章の天才ではない。けれど、才能はなくても文章は書けること、書くことに夢中になれることを、この3年で身をもって理解した。


エッセイの週刊連載を続けている作家に「どうしたらそんなに原稿が書けるようになるのか」と尋ねたことがある。その人は「朝起きたらすぐに机に向かう。何も思いつかなくても書く」と答えてくれた。また、あるとき、別の作家にも同じ質問を投げかけたところ、「時間が来たらとにかく書く。書き始めたらできあがる」と話してくれた。

私は嬉しくなった。やる気とか、才能とか、そういう話じゃないのだ。書くか、書かないか。結局それしかないのだと思う。


書く人が書ける人になっていく。だとしたら、私もそうなのだ。ただ、書けばいいし、書き続けたらいい。


ぽろぽろと溢れさせつつ生きている 木陰でひろう桜の花弁

PROFILE

岡本真帆

作家・歌人

1989年生まれ、高知県四万十市育ちの歌人・作家。2022年に刊行した第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)でデビューし、2024年3月には第二歌集『あかるい花束』(ナナロク社)を刊行。2025年4月には短歌とエッセイを綴った『落雷と祝福』(朝日新聞出版)が発売。

CREDIT

執筆:岡本真帆 アイキャッチ写真:Yuhei Okamoto 編集:桒田萌(ノオト)

ブランド名

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★★★★☆

¥0,000

PROFILE

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

山田 太郎

CO-FOUNDER & CTO

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。

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