親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
さまざまな価値観が交錯するこの時代、自分自身の生き方・働き方にどう向き合う? エッセイ連載「わたしと、シゴトと」では、毎回異なる書き手が、リレー形式で言葉をつむぎます。
今回の寄稿者は、ライター・コラムニストの佐藤友美(さとゆみ)さん。息子から向けられた「ママの夢は何だった?」という問い。それに呼応するように、自ら心地よいと思う場所と働き方を探り、環境を整えてきた道程について綴ります。
ママの夢は何?
「ママの子どもの頃の夢は何だった?」と、息子に聞かれたことがある。今は中学生になる彼が、まだ保育園に通っていた頃のことだ。「そうだなあ、キミくらいの歳のときは、本をつくる人になりたかったよ」と答えたら、息子は目をキラキラとさせ、「じゃあ、ママは夢がかなったんだね! だっていま、ライターのお仕事をしているんでしょ」と言った。
夢がかなった、のかな。そうなのかな。いや、でもちょっと違う気がする。たしかに子どもの頃から書く仕事がしたいと思っていたけれど、今考えると、それはつきたい職業であって、「夢」とは違うような気がする。
この日から私は、自分の「夢」について考えるようになった。
その数年後、小学生になった息子から再び「ママの夢は、何?」と聞かれた。このときは、前より少し考えがまとまっていた。
「ママの夢は、自由に生きること、だと思う」
私の声は少し、自分に言い聞かせるような口調になっていたと思う。
「自由って?」
息子がきょとんとしたので、
「ママは、毎日好きな場所に行って、好きな人と会って、好きな時間にお仕事する人になりたいと思っているんです」
と話した。
そうなのだ。私がやりたかったことは、毎日過ごす場所と時間を自由に決められることだったのだ、と思う。
川に向かって執筆できる「WEEK神山」の部屋がお気に入りで、こもって書籍を執筆したことも。
それを自覚したきっかけは、フィリピンのネグロス島に出かけたときのことだった。8年前、当時6歳だった息子と、親子留学という名のプログラムに参加した。英語を習いたかった&習わせたかったわけじゃない。集中して執筆しようと思っていた時期に、頼みの母親の都合が悪くなったので、どこかフルタイムで子どもを預けられる場所がないかと探したのだった。ここで私は、子どもを英会話レッスンに預け、自分の分のレッスンは全てキャンセルし、原稿を書いていた。
このときのステイ先が、とてもよかった。部屋にデスクがあり、リビングでもキッチンでも原稿が書け、ベランダにも、ガーデンにも、ビーチサイドにもチェアがあった。私はMacBookを持って、いろんな椅子に腰掛け原稿を書いた。
ときおり別の部屋から息子の声が聞こえる。生まれて初めて英語に触れた「あっぷる!」の発声を遠くに聞きながら書き、子どものレッスンが終わったら、一緒に海やプールで泳いだ。彼が昼寝を始めたら、またどこかの椅子に座って書いた。
そのとき書いた原稿は、我ながらとてものびのびとしていて、おおらかだった。座った椅子の数だけ、自由に書けた気がした。
椅子を増やす――働く場所を選択できる心地よさ
あのときのように働きたい。
そう思った私は、東京に戻って、少しずつ自分の家に椅子を増やしていった。比喩ではなくて、物理的に。狭い2DKの部屋だったけれど、あの場所、この場所で書けるように。そして、毎日違う椅子に座って書いた。椅子の数が増えると、選択できる自由の数が増えるような気がした。
そのうち、コワーキングスペースなるものが流行りはじめると、その会員になった。今日は渋谷で、今日は日比谷で、と場所を転々とするだけで気持ちがよかった。
駅につくまで、どのコワーキングスペースに行くかを決めていないことも多い。2本ある路線の、電車が先にきた方に乗って行き先を決める日もある。座れる椅子の数がどんどん増えていった。
そうやって私が働く場所の数を増やしている間に、コロナ禍が世界じゅうを襲った。
コロナは圧倒的に「禍」であったけれど、私個人にとっては「福」だったことも結構多くて、そのひとつが、世界全体が「好きな場所で自分の裁量で仕事をする」ほうへ移行していったことだ。これは非常にありがたい変化だった。
ライターの仕事は「取材」と「執筆」の2本の柱でできている。コロナ禍以降はオンラインで行われることも増えたが、「取材」は今でもなるべく対面でしたいと思っている。その人がどんな表情でそれを語ったのか、よどみなく話したのか、それとも躊躇していたのか。そんなノンバーバルな情報を現場で集めるのがライターの生命線でもあるから、取材は「その場所」にいきたい。
でも、「取材」のための「打ち合わせ」が軒並みオンラインでよくなったのは嬉しかった。「執筆」はもともとどこでもできる。となると、月に何度かの取材日さえ調整できれば、いつでもどこでも自由に働けるようになるではないか!
かくて、このコロナ "禍” の間に、私は粛々と準備をしてきた。
まずは、仕事の種類を変えた。場所や時間を指定されるライターの仕事を少し減らし、自分の脳みそだけで仕事が完結するエッセイやコラムの仕事を増やした。これまでリアルの場でやっていたセミナーを、オンラインに切り替えてみた。そして、自分でそれを運営することにした。
そうやって、少しずつ準備を整えていった。何の準備か。それは、日本や世界のいろんな場所に椅子を増やす準備だ。
それまで契約していたコワーキングスペースから、全国に支店があるコワーキングスペースに乗り換えた。そして、いろんな場所を転々とするようになった。北は北海道から南は沖縄石垣島まで。飛行機の中、新幹線の中、バスの中、船の中。ホテルで、レストランで、バーで。庭で、畑で、川や海に足をつけながらケータイで連載コラムを書いたこともある。お寺や神社の境内で忘れたくない気持ちを慌てて書きつけたこともある。
ときどき過去の自分の文章を読み返すと、ああ、これはあの場所で書いたなあとその場所のにおいが蘇ってくる。
いまこの原稿はスリランカの、とあるアーユルヴェーダ施設で書いている。これまで私は、アーユルヴェーダとはリラクゼーション目的のマッサージだと思っていた。しかし、スリランカではアーユルヴェーダは医療行為の一つで、医師の診察にもとづいた食事やトリートメント(マッサージ)が処方される。今日は滞在8日目。毎日医師のチェックがあり、体調に合わせて日に4回のトリートメントを受ける。合間の時間は、プールで泳いだり目の前のビーチを散歩したり、ときどき原稿を書いたりしている。
「仕事を持ち込むのは仕方ないけれど、深い瞑想を必要とするシロダーラ(※)の期間に入ったら、パソコンは閉じてね」とドクターに言われた期間が今日からだ。なので、この原稿を書き終えたら、3日間はデジタルデトックスすることになると思う。
※シロダーラ:アーユルヴェーダの治療法の一つで、頭や額にオイルを垂らして行う。疲労回復やリラックスなどに効果が期待できる。
今年になって、ランニングをはじめ、これまで顧みなかった身体のメンテナンスを意識するようになった。これも「好きな場所で自由に生きる」を実現するには、身体のメンテナンスがもっとも大事だと身に染みたからだ(そしていまスリランカで、身体だけじゃなくて英語も大事だと気づいた)。
仕事もプライベートも、全部自分の時間
自分に残された時間について考えてみたい。
昔、ある売れっ子の女性美容師さんをインタビューしたときのこと。これまで何度も「そんなに仕事が忙しくて、自分の時間はありますか?」と聞かれた、と話してくれた。彼女はそのあと「でも、私それ、不思議なんですよね」と続けた。「仕事している時間だって『自分の時間』じゃないですか?」と彼女が言い、私はその言葉にハッとさせられた。
たしかに、その通りだ。
誰かに管理されるわけではない時間はすべて「自分の時間」である。とくに私のようなフリーランスの人間にとって、自分の24時間はすべて自分の時間である。人から管理されている時間はない。24時間をどう使うかだけの問題である。
そうか、これまで「仕事とプライベートはどう両立させていますか?」という質問をされるたびに感じていた違和感。それは、両立という言葉に、「どちらかを立てたらどちらかが犠牲になる」といったトレードオフのイメージがあるからなのか、と気づいた。どちらもぜんぶ私の時間。分ける必要がある? と、心のどこかで思っていたのだろう。
それで思い出したのは、自分の子どもの頃のことだ。
子どものとき、私の目には、「多くの大人は、仕事をして得たお金で、『仕事以外』の時間に自分の好きなことをしている」ように見えた。でも、それだと好きなことをできる時間が少ない。そうだ! 仕事も好きなことをしちゃえばいいんじゃない? と考えた。
そして、そこは子どもだから安直なのだけれど、「私は考えることが好きだから、研究者とか、学者とか、本を書く人になればいいんじゃないかな。そうすれば24時間好きなことができるじゃないか!」と思った。
それに気づいたときは、興奮した。
安直と書いたけれど、結局その安直なインスピレーションのままライターになり、もうすぐ50歳になろうとしている。
今日ここで感じたことを文章にして仕事にし、仕事で知り得たことをプライベートに活かして生きている人生は、子どもの頃に描いていた、理想の大人のイメージに近い。そこには「仕事の時間」と「プライベートな時間」の明確な境界線はなくて、どちらもそれぞれ、その境目から双方に染み出している。今は、もっともっと、仕事とプライベートがシームレスに混ざっていけばいいなあと思っている。
24時間ぜんぶ、自分の時間。
世界じゅうどこでも、自分の仕事場。
そんな自由な人生を楽しみたい。
来年は、英語を習う。
佐藤友美(さとう・ゆみ)
1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社勤務を経て文筆業に転向。さとゆみビジネスライティングゼミ主宰。卒ゼミ生によるメディア『CORECOLOR』編集長。著書に『女の運命は髪で変わる』(サンマーク出版)、『書く仕事がしたい』(CCCメディアハウス)、『髪のこと、これで、ぜんぶ。』(かんき出版)、子育てエッセイ『ママはキミと一緒にオトナになる』(小学館)、『本を出したい』(CCCメディアハウス)など。
執筆、写真提供:佐藤友美 編集:桒田萌(ノオト)
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