親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
さまざまな価値観が交錯するこの時代、自分自身の生き方・働き方にどう向き合う? エッセイ連載「わたしと、シゴトと」では、毎回異なる書き手が、リレー形式で言葉をつむぎます。
今回寄稿してくれたのは、北海道と東京、2つの拠点で執筆活動を行う編集者・ライターの詩乃さん。彼女は、2つの土地を行き来するワークスタイルを「呼吸」と表現します。静けさと喧騒、相反する場所で生まれるこころの動きとは。
二つの地で循環する思考
北海道の空気を吸い込むたび、東京の喧騒で埋め尽くされていた脳内の思考がするっとほどけていく。東京の街を歩くたびに、循環した無垢の心に、考えごとがたんまりと満ちていく。わたしの感性はいつも、この二つの世界の間で揺れ動いている。
北海道と、東京。この二つの土地を行き来するようなライフスタイルになってから、どれくらいが経過しただろうか。「この日を機に」という起点があったのではなく、わたし自身にとっても「気がついたら」と呼べるほどには、随分シームレスなライフスタイルの移行がおこなわれていたように思う。
決して、二拠点生活と呼ぶほどきっちりしたものではない。けれども、旅と呼ぶほど気の赴くままでも、たぶんない。どうにも曖昧だけれど、確固たる基準によって培われたわたしの今のライフスタイルは、「北海道と東京を行ったり来たりしている」と呼ぶ以外に、適切な表現が存在しないのだ。
東京の自宅。やさしい光が差し込む立地が気に入っている
わたしは、文章を書くことを生業としている。働き方こそ移り変わりがあるものの、社会に出てから、一貫して文章を書く、いわゆる「ライター」という肩書きで暮らしを営んでいる。この仕事のいいところは、(もちろんそれだけに限らないけれども)働く場所の制限がそう多くないこと。
取材やインタビューなどがあれば、必要に応じて現場に行くことこそあるものの、「文章を書く」という行為のみに焦点をあてれば、インターネット回線が存在する場所である限り、基本的にはどこでも働くことができる。
そういう利点を活かして、わたしはライターとして社会に出た2017年頃から、定期的にさまざまな旅先へと足を運んでいた。その場所は、時々によって、あるいは気分によって変わる。
国内でも南の方面にやたら出かけたくなる気分のときもあれば、日本海側ばかりにいた頃もあるし、中部や関西方面をのらりくらり転々としていた時期もあった。国内のみに限らず、その先が海の向こうだったことも珍しくない。
こころを震わす北海道、思考を巡らせる東京
「北海道」という土地が持つこのうえない魅力に気づいたのも、ちょうどその頃だった。たまたまというべきかもしれないが、わたしには北海道に暮らす友人がとても多い。そのうちの一人、北海道の東側──通称“道東”と呼ばれる地域で生きるデザイナーの友人の存在が、北海道という土地が持つ、無二の魅力に気づかせてくれたのだった。
「たおやかな自然が息づいている土地」だとか、「大地が自分自身に語りかけてくるような土地」だとか。そんなふうに形容するのが、最もしっくりくる。そう思える風景が、北海道には数多く存在している。五感の奥深くに眠っているような、自分でさえ気づいていなかった感性を揺さぶられる。そういう心地を、北海道で幾度となく経験した。
それは、言葉にするのが本当にむずかしく、単調な表現になってしまいそうなものなのだけれど、あえて書くとするなら果てしない感動。脳内に渦巻いている、多種多様な思考のすべてを吹き飛ばして、深い呼吸をさせてくれる。そういう具合のよろこびが生まれる北海道は、自分自身にとって、他に代えがたい特別な場所なのだった。
北海道を大層感じられるからか、北海道各地と東京を結ぶAIRDO便を好んで利用している
一方で、「東京」という土地にも、わたしはこの上ない慕情のようなものを抱いている。もともと東京暮らしが長いというのも、そういう情を抱くのに十分な理由であるのかもしれないが、それ以上に、どれだけ知ろうとしても、まったく知り尽くせないというおもしろさがある。
わたしの実家は東京の東側、いわゆる下町にあるので、子どもの頃から浅草や東京スカイツリーの周辺を日々散策していた。100年以上続くような歴史ある店がそこかしこに存在し、下町風情とはまさに、と思える風景が残っている。昔から、そんな東京が好きだった。
現在は、東京の世田谷という土地で一人暮らしをしている。暮らしはじめたきっかけは些細なものだったけれど、コロナ禍で一度は離れたのにも関わらず「どうしても世田谷に住みたい」という、ただそれだけの理由で、舞い戻るほどには好きだ。愛おしかった。家賃の高さもある程度許容できるくらい、世田谷にもどこか人を虜にさせるような力がある。
世田谷には世田谷で、室町時代の頃につくられた城下町としての名残がある。古き良き文化が残っていながら、カルチャーの発信地の一つとしての役割も同時に担っているため、ちいさな商店が多く、居心地のいい店揃いだ。街歩きをしていて、これほどまでにおもしろい街も珍しいだろうなと思う。
あとはなにより、インスピレーションの湧く街だなあとも感じている。どう暮らしたいとか、どんな仕事がしたいとか、あれこれと妄想したくなる街。それがどんな背景から生まれている感情なのかは正直わからないが、明日が訪れるのが楽しみになる。少なくともわたしにとっては、そういう土地が世田谷なのだといえる。
もちろん東京を構成する要素は、下町だけでもなければ、世田谷だけでもない。都内のほかの土地に赴けば、それだけ知らない歴史と出会うし、文化と出会う。北海道で感じる未知とはまったく別の刺激であるし、そうした東京のおもしろさを人生から失うことも考えられない。それほどに大切なものだったりする。
呼吸をするように、居場所を変えて生きていく
じゃあ、この二つの土地をどんな基準で行ったり来たりしているのか。現段階でのそれは、「呼吸代わり」なのだと認識している。文章を書くという行為においては、書くための要素を得る行為を東京で、言葉にするという行為を北海道で、といった使い分けだ。
「呼吸をする」うえで大切なのは、肺の奥まで深く深く息を吸い込み、ふうっと心ゆくまで息を吐くこと。浅い呼吸ではなく、たっぷりと吸い、そして、吐くという営みを繰り返すことで、自分自身を落ち着けることができるのだろう。「文章を書く」という営みも同様で、情報や、考えるための種があってこそ、内省がやたらと捗り、結果、文章として昇華されていく。
おそらく、わたしが東京という土地に暮らすことで得ているものは、数多くの情報が集まるからこその、思考のモトみたいなものなのだろう。人との対話、お店のインテリアや、街角の看板など、五感に入る情報量が圧倒的に多い東京ならではの愉しみがあり、それをわたしは「吸い上げて」生きている。
そして、それらを文章とするために必要なのが、心をまっさらにしてくれる土地の存在だ。すでにパンク寸前の脳内は、さまざまな糸が絡み合った混戦状態にある。それを吐き出し、一つずつ解きほぐすことを「内省」だとか「整理」だとか呼ぶのだと思う。今のところ、それに最も適した土地が、わたしにとっては北海道なのだろう。
静けさと喧騒。いずれもわたしには同じくらい必要で、自分の暮らしや価値観を形成する大切な要素になってくれている。二つの土地を行き来することでしか感じられない感性の呼応は、自分自身との対話を進めるための潤滑剤であり、思考に深みを生み出す隠し味みたいなものなのかもしれない。
「北海道」と一言でいってもさまざまな風景に出会える。それもまた好きなところ
暮らす場所を変えることで、感性をまるごと揺さぶる、という体験。とてもパワープレイのようにも感じられるけれど、今となっては、わたしの暮らしに根付いたごく普通の活動にもなってきている。そうして生み出す仕事も、決してわるいものではないと思っているし、そうであってくれとも願っている。
視界に映る景色が変われば、肌を撫でる風が変われば、そのぶん考えごとも変わる。そうした変化を繰り返し、感性を研ぎ澄ませていくことが、わたしにとって「生きる」ということなのかもしれない。北海道と東京、二つの土地に導かれながら、これからも自分なりの言葉を探す旅を続けていきたい。
詩乃/shino
フリーランスのライター、編集者。多摩美術大学美術学部を中退後、デザイン専門学校在学中にライターとして活動を開始。インタビュー記事やエッセイなどの執筆に携わる。2017年より暮らしたい街を探す旅を始め、「月の半分を東京、もう半分を日本のどこか」というライフスタイルに。現在北海道と東京での多拠点生活を行いながら心地よい暮らしの在り方も実験中。旅と家具集めが好物の1995年生まれ。
執筆、撮影:詩乃/shino 編集:モリヤワオン(ノオト)
ブランド名
商品名が入ります商品名が入ります
¥0,000